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想いを込めたお墓デザインコンテスト

第29回デザインコンテスト受賞のお墓

【ご注意】
こちらに掲載されているお墓は、ご応募された方が想いを込めて作っておられます。安易に模倣等されないようご配慮をお願い致します。





庭にあった古い石灯籠をお墓にリメイク

大阪府 入江様

お墓建立の際のエピソード

私はこの1年に二度も大病に見舞われて入院手術を経て、ようやく元気になりつつあります。77歳の主婦です。転勤族だった夫と私、子ども3人で大阪の夫の実家に戻り、39年の月日が夢のように過ぎました。楽しかった事、大変だった事も数知れず・・・そんな私たち家族をいつも庭から見守ってくれていたのが昔話に出てくる様なお家の形をした「石灯籠」なのです。気の晴れない日に横を通れば何故か、心がほっこり和みます。このたび私の大病を機に、結婚53年の夫婦の終活として大決断!私たちのお墓を作ろうと思い立ちました。家族みんなが大好きだったこの石灯籠を墓石にしたいと私が提案すると、全員一致で大賛成。そうと決まれば、頭の中のイメージをスケッチブックに起こし石材店さんに相談を!イラストを元に数回の打ち合わせを重ね、いざ灯籠の解体!そして新しいお墓の建立!悩んで、どきどきして、ホッとして・・・あっという間の時間でした。夢までみた私たちらしいお墓に大満足です。大決断をした終活が家族みんなでワクワクできるイベントになるとは思いもよりませんでした。石灯籠へお願いです。どうかこれからも家族みんなを見守っていて下さいね。





亡き母が長年住んだ家の写真を彫り込んだお墓

静岡県 渡邊様

お墓建立の際のエピソード

少しだけ坂を上ったところに母のお墓はある。足の悪い父には少し勾配がきついらしく、なかなか足を運ぶことができない。お参りするとき腰かけられる場所をお墓自体に設定した。納骨の時父は早速そこに腰を掛け、坂を上って切らした息を整えていた。
ここには私も腰かける。お墓に腰かけるなんて、と抵抗のある方もいらっしゃるだろう。確かに最初は抵抗があった。しかし、お参りの回を重ねる毎に腰かけることへの抵抗はなくなっていった。むしろ今はそこに腰を掛けてほっとー息つく。小高くなっている墓地は開放的で、風が気持ちよく吹き抜け、忙しい日常の中で少しの安息をもたらしてくれる。座ると私は母に話しかける。話しかけながら母の肩を抱くように石塔に手を回す。
石塔には父の希望で「和」と記し、「和」をイメージして石塔を丸形にした。丸という形は人の心を和ませてくれる。供花を替え、水鉢に水を張り、線香をあげ終わり、腰を下ろす習慣ができたころには自然とその丸い石を抱くようになった。
石は不思議だ。その日によって温かさが違う。石が冷たい日は冷え性だった母を思い出し、温めてあげたくなる。母の冷たい足を一生懸命にさすって温めていた介護の日々を思い出す。石が温かい日は母に温めてもらっているように感じる。幼いころ布団の中で私の冷たい足を温めてくれた母のぬくもりのように。そこにたしかに母がいると感じる。季節の花を持ってお墓参りに行く。母に会いに行く。
またこのお墓に、母と縁のあった多くの方に来てほしいと考えている。その為の仕掛けとして、自宅の写真を彫りこんだ。お参りに来てくださる方へのサプライズだ。期待通り、彫られた写真を見て、皆それぞれに思いを馳せてくれている。母が長年住んだ家の姿とあわせて母とその方との思いを一つでもつないでくれたらうれしい。なにより母には、母のホームで母らしくいてほしい。写真を彫り込むというアイデアをご提案くださった石材店の担当の方に感謝している。
墓は亡くなった人に安らかに居てもらう場所であると多くの人は考えるだろう。しかし母の墓の建立を通して、また、墓参りをして、お墓というのは生きている私たちのためにある場所だとつくづく感じる。失った大切な存在を忘れずに、生きている私たちが精一杯に生きられるようにと。





生きているを体感する居場所である五輪塔型お墓

静岡県 榊原様

お墓建立の際のエピソード

「今夜、時間があるか?」
突然の父からのLINE 。何事かと早めに仕事を切り上げ、急いで実家に向かいます。ドアを開けるといつもの場所に父が座っていました。何の話が始まるのかソワソワする私。 「お墓を建てたいと思っている……」そう言うと、手書きのお墓の図面を手渡されました。
それは、四十年以上、石材業界に勤めていた父が、プリントの裏紙に書いた図面。きっちり寸法まで書かれたそれを見て、仕事を辞め二十数年経った今でも、身についたものは忘れないものだなと感心します。そして、そこには、かつて私がデザインした五輪塔が描かれていました。
私も父の背中を追って石材業界に入り、二十余年で五百件を超えるお墓の建立に携わってきました。何事にも囚われない性格は父親譲りのようで、慣習や固定概念に縛られず、お客様の思いを傾聴しながら、自由にお墓のデザイ ンをさせて頂いてきました。そのおかげもあって、平安時代から先祖供養のお墓として親しまれてきた「五輪塔」を令和の時代にリ・デザインするという仕事をさせていただく機会に恵まれました。父は、その五輪塔のパンフレットを丁寧にファイルに挟んで持っていてくれたのです。
「この五輪塔はとても、気に入っている。デザインの良さだけでなく、お墓としての意義が入っている。触れるっていうコンセプトもいい」四十歳すぎてから父に褒められ、なんか、こそばゆい。今までやってきた仕事が認められたような気がして感慨深いものがありました。それから、父との図面越しの対話が始まりました。父が引いた図面は、デザイン五輪塔を乗せたシンプルなもの。そこに私の感性を加え、線を整えていく。二人で白い紙の上に黒鉛を重ねていく時間は夢の中にいるようでした。
施主とデザイナーという立場。
仕事の先輩後輩という立場。
人生の師と弟子のような立場。
様々な思いを抱きながら、まるで「人生の問い」という宿題を一緒に解いているかのよう。ああ、何年たっても、私は父の子どもなのだと、忘れていたあの頃の感覚と重なり胸が熱くなります。父とのお墓をつくる作業は、父の子どもであることを確認する幸せな時間でした。
図面が出来上がると、急いでお墓を建てる手配しました。なぜなら、父が「自分の喜寿を迎える日にお墓を建てる」と決めていたからです。そして、宣言どおり、新春の日差しの中、父の誕生日に合わせてお墓が建ちました。
それだけで終わらないのが、我が家族。父から「喜寿のお祝いにお墓の建立式をしたい」という言葉が出ました。「誕生日会でお墓の建立式」という冗談のような話。面白いことを考えるなと、軽く考えていたのですが、思いの外、父は本気で、自分で儀式を企画し、式次第までつくっています。そんな姿に家族も面白がって協力し始めました。気が付くと「本格的な入魂式」になっていました。
一般的にお墓が完成すると開眼、入魂式と言って、仏さまがいなくても僧侶を呼び、お墓にご先祖様を迎え入れるお経をあげますが、その代わりに結婚式で行われる人前式のような形で儀式をすることを考え、それを「想刻式」と名付けました。
「地球の恵みである石。人間の命と比べると計り知れない時間をかけて作られた石に敬意と想いを込め、年齢の数だけお墓に打刻する……」そんな思いを込めた式です。
儀式の数日前、お墓に打刻する石を拾いに小学六年の息子と近くの海岸へ行きました。ゴロゴロと玉石が積み重なる海辺。数えきれない石ころの中から一つ、息子に選んでもらいます。彼が何を思い感じて選んだかは、わかりませんが持ちやすい石を手にしました。
‶息子が選んだ石″それだけで、海辺の石ころが特別なものになりました。
「両親や私が亡き後も、息子の思い出にこの風景が刻まれ、また、その次へと語られることがあるのかもなぁ…」海の向こうを見ながら、そんなことを考えていました。
「想刻式」の当日、コロナ禍で集まれていなかった家族が2年以上ぶりに揃います。参列した家族が、息子が選んだ楕円型の玉石を五輪塔の傘の部分に歳の数だけ打刻していきます。
「トントン」「コツコツ」「ターン、ターン」。人によって、打つ音も間合いもそれぞれ。石で叩いた後、その場所に手のひらをのせ、それぞれが、その時に感じたコトを込めていきます。私たちは決まった神仏への信仰はありませんが、自然と見えない「何か」を込めました。 その「何か」をあえて言葉にするとしたら、それは「思い」。 幸せや健康、感謝など、それぞれ、その時々の「思い」です。そして、ここに家族の祈りや気持ちを向けられる場所が出来ました。
数か月後、妻から、子どもの卒業を感謝しにお墓に行こうと提案がありました。お墓には誰も入っていませんが、そこに家族が集いました。妻や子どもたちが手を合わせる景色を見て、父がコロナ禍で集まりにくい状況でも「家族みんなで一緒に魂入れの儀式をしたい。全員が集まらないとだめだ」と、こだわった理由がわかった気がしました。
お墓を建て、儀式をしたことで、家族に「生きている私たちが、今ここに在ることへ思いを向ける場所がある」という共通認識が出来たのだと思います。「思い」は、きっと、感謝だけでなく、しんどさや、やるせなさ、辛いことだって向けてもいい。「思いを向ける」ことは「自分の気持ちと向き合うこと」なのだと私は思います。家族みんなで「入魂の儀式」をしたからこそ、仏様あるなし関係なく「お墓に行こう」って言える。
このお墓は
「亡きひとを思う場所ではない」
「生きていることを体感する居場所」
なんだと実感しています。
今日も私はお墓に行きます。





ガラスのお墓に藤の花のエッチング

埼玉県 古澤様

お墓建立の際のエピソード

東京オリンピック開会式前日、交通規制の最中、都内大学病院に向かう救急車の中に私は居ました。7年前より発症した難病による、合併症で、一時は、生死を彷徨いましたが、優秀な担当医師達の適切な治療により、後遺症もなく、退院する事ができました。
死と向き合い、二人の子供達も家庭を持った事もあり、生前に、自分の永住となるお墓を、この目で確認できれば安心できると思い、母の眠っている霊園に、長年親しくしている方と、お隣り同士で建てる事にしました。
以前、海外映画で硝子のお墓を見た事があり、とても印象深かったので、石材店の方に、取扱いがあるかを相談した所、色々ご尽力頂き、ガラスの色、藤の花のエッチング、墓誌にはめ込むステンドグラスなど、楽しい打合せの時間を過ごさせて頂き、想い描いていた以上の素敵なガラス墓が完成しました。晴れた日には、日差しが締麗に映え、周りの木々までも映し出し、雨の日には、ガラスを伝う雫の透明感に癒されます。
命ある限り、ずっと眺めて生きて行きたくなりました。たくさんのわがままな注文にも、心良くご対応頂きまして、感謝しております。





母をイメージ、ピンク石を丸くくりぬいたお墓

山梨県 草野様

お墓建立の際のエピソード

姉の嫁ぎ先の八ヶ岳に、急逝した母が眠るお墓を建てました。
母は保健師として長く産婦人科で勤務し、定年退職後がん患者支援のボランティア団体を保健師仲間と立ち上げ、病気と立ちむかう人達が前向きに生きられるよう様々なイベントや勉強会を企画していました。そのかたわら、英語の勉強のために外大に入りなおしたり、登山や旅行に行ったり、とそれは忙しく活動的な毎日でした。それがある日突然脳梗塞に倒れ、帰らぬ人となってしまったのです。あの元気な人がまさか、と思いました。でも寝込むところを見せなかったということが、この人らしいな、という気もしています。
今まで私も仕事や趣味に忙しく して、お墓のことなんか考えたこともありませんでした。自分は独身ですし、今はやりの散骨とか、宇宙葬などに漠然と関心をもっていたくらいでした。でもこうして母が亡くなってみて、母が生きていた証を形で残したい、と強く思うようになりました。
お墓を建てるにあたって、母の生き方について、遺骨の納め方について、お墓の守り方について、父や姉ととてもたくさんの話し合いをしました。それぞれ離れて暮らしている私たち家族が、母の死をきっかけに一家団欒してお互いを思いあう気持ちが芽生えました。そして、母をどう祀れば私たち自身が癒されるか、その方法をとことん考えました。こんなステキな宿題を残してくれた母に感謝しています。お墓は残された人間が考えるものなんだなぁと実感しました。
石碑のデザインについて、風になびくような頭の形はいつも元気に走り回っていた姿、それ でいて乙女チックなこころをピンクの石で、どこか天然でヌケているところを真ん中のぽっかり穴が表現しています。ヌケているところにお花がさせるのもなんだか笑えました。墓石には「 Always with you 」と英語のメッセージを彫りました。母は英語が好きでいつも勉強をして、お友達と英語サークルを作って教えたりもしていました。母が亡くなったとき、いろんな方から『お母さんはいつもそばにいますよ』と声をかけていただいたことでとても励まされたので、英語で『いつもそばにいます』という意味のメッセージを彫ろうと姉が言い出しました。母をイメージしてつくったお墓でしたが、できあがってみると私たち家族の雰囲気そのままでした。
母が亡くなって1年後、父ががんを発症し、家族全員の希望で延命治療を行わないことを選択し、自宅で静かに息をひきとりました。その看取りを落ち着いてできたのも、母の天国からの応援があったからのように感じています。そんなわけで思いのほか早く父もこのお墓に入ることになりました。生前そんなにベタベタ仲が良かったようにもみえなかった夫婦でしたが、こうして「Always with you」のお墓に入れてみると、その言葉の意味」のお墓に入れてみると、その言葉の意味がまた新鮮に感じました。親を二人とも送り、子としての大きな勤めを果たすことができました。
八ヶ岳は母の田舎の信州からも、私の住む関西からも、両親の友人が多い東京や静岡からもちょうど集いやすいところにあります。普段は姉が見守ってくれますし、お墓参りがてら姪や甥に会える機会も増えるでしょう。お墓をつくって、家族がひとつになれる場所ができて、本当によかったと思います。





家の敷地にあった八ヶ岳の自然石のお墓

山梨県 溝呂木様

お墓建立の際のエピソード

我が家のお墓は首都圏の古いお寺にありましたが、私達夫婦が八ヶ岳南麓に移住し、年齢がすすむにつれて、たびたびの墓参がかなわなくなったことから、住まいの近くの共同墓地に移したものです。今は父母と妹が眠っています。
墓石と腰かけ石は、ここに家を建てた時から敷地にあったもので、遠い昔、八ヶ岳から飛んできたか、流されてきたものかと思うと、この地が大好きな私達夫婦もいずれここに眠れるという安心感がります。平安という文字は私が書きました。つたない文字ですが、思いを込めたので、石材店さんが素敵に仕上げて下さってうれしかったです。
父も母も妹もこの世にあっては辛い思い苦しいことも多く、必ずしも穏やかな家族関係ではありませんでしたけれど、あの世とやらに行った今は大いなる平安を得て、巡り合った3人はゆったり、にっこり語り合っているに違いないと思えるのです。私達の生きるこの世界は苦痛に満ちていますが、いずれ私達も平安につつまれると信じています。
墓地は私達夫婦の毎日の散歩コースであります。どちらか一人が先に行くでしょうから、あの石に腰かけてひと休みすることが日課になるだろうと思っています。
子供や孫には、一年に一回はお墓の草刈りに来なさいよと言ってあります。彼女達の感想は「可愛いお墓」というものであります。





読書好きの故人を彷彿させるページをめくるイメージのお墓

埼玉県 長谷川様

お墓建立の際のエピソード

遠方から先祖代々のお墓を改葬することになりました。
田舎のお墓は昔ながらの和型で背の高いお墓が並ぶ寺院墓地でした。
お墓を改葬するにあたり、娘や孫たちが定期的にお墓参りに行ける場所で、ペットも一緒に入れる事、自分達の想いを込めたお墓を一からデザイン出来る事を条件として探しました。
杉並さくら聖苑内にはオリジナルデザイン区画という区画があり、好きなデザインを希望出来るということからそちらの区画にて契約をし、参考イメージとして、他のお墓も沢山見せて頂きました。
話し合った結果、他には無いオリジナルデザインにしたいという想いと、故人の【読書が大好き、お花も大好き、家族も大好き…】との想いを引き継いでいける様なお墓にしたいと の想いで、まずは娘が手書きでデザインするところから始まりました。子供たちと相談しながら何度も何度も変更し、石材店さんにも相談に乗って頂きながら、最終的に本のページをめくる様なイメージのカタチ、墓石の色も明るい色で、ファントーニ彫刻でお花を彫刻してもらいました。
亡くなった家族もこれからも生きていく家族も仲良く、明るく過ごせる様にとの家族全員の強い想いを表現できた素敵なお墓になったと思っております。
日頃から大切にしている「家族の絆」の象徴になる様な素敵なお墓に出来上がって家族全員大満足です。
明るいイメージの綺麗で素敵な霊苑なので、他のお家のお墓も立派なお墓、可愛いお墓、素敵なお墓が沢山並んで建っている中でも『ウチのお墓素敵でしょ‼︎』と自慢したくなるお墓になりました。
遠方だったり高齢だったり等、来る事が出来ない親戚や友人には写真を見せて自慢をしました。昔の和型のお墓は写真を撮る事がいけないと言いますか、怖いイメージですが、我が家のお墓では、お墓参りの度に家族でお墓の周りに並んでみんな笑顔で家族写真を撮っています。
今回の事でお墓に関するイメージが、がらっと変わりました。これからお墓を建てる方には是非素敵なデザインの明るいイメージのお墓を建てていただき、日本各地に素敵なお墓が沢山建ったらいいのにと思います。
誰かが亡くなってからお墓を建てる事は悲しくて作業的になりがちですが、我が家は今回の事で家族みんなで、何度も何度も話し合いがあり、その中でお墓の事だけではなく、様々な話をしていく中で、みんなの幸せの為にお墓を建てているんだと改めて感じる事が出来ました。
我が家の自慢のお墓の前で、お参りの度にみんなで笑ったり、懐かしい話をしたり、季節や年月を感じながら亡くなった家族を想う事がとても素敵で、その中で家族の絆も強まり、会う頻度や話す事も増えました。
石材店さんや色々な関係者の方達には本当感謝しております。
お墓参りの大切さを伝えていくのにぴったりなお墓になったと思います。まだ小さい孫もおりますので、元気でいるうちに伝え続けていきたいです。





生きてきた道を踏みしめ後を振り返る「ふみあと」の文字

千葉県 保坂様

お墓建立の際のエピソード

ご先祖の歩みをふみしめ、変わらずに流れる水のようにいつまでもつながり続ける。
幼少の時に明治生まれの曾祖母、大正生まれの祖母を中心に母や兄弟が荒川の下町の商店で生計を立てていました。曾祖母や祖母に厳しくも温かく躾けられた昭和の時代によくある思い出があります。また、曾祖母や祖母には家業の浮き沈みや震災や戦争を経験した話も聞いてきました。
そんな時代を家族や親戚、そして知り合った方々と力を合わせて乗り越えてきた当時の状況も母から聞くこともおおくなりました。
当時はそんな歴史があったことを知らずに母や叔父達と曾祖母や祖母は年老いても働く姿を目にしてきました。
また、祖母は、盆彼岸、正月など節目の墓参を欠かすことはありませんでした。きっと一人では寂しかったのでしょう。孫に声をかけ2人で墓参りに行きました。私は小遣いがもらえるのでよくついて行きました。墓の掃除が終わると昔の話をしてもらいました。墓参の最後には、前後両隣にお裾分けと称して線香を手向けてもいました。昭和の商売を行うものの習いだったのでしょう。
その当時の方々もお墓の中に入りました。そして、姓の異なる母も入ることとなります。母も苦労したり報われたりと曾祖母、祖母と同様な生き方だったと思います。
苦労したことや幸せに感じたことなど生きてきた道をふみしめてきたあとが重なっていくように感じます。
そして、川や海などの水の流れがいつまでも変わらずに流れているよう、今までの先祖からのつながりは連綿と流れていくといった思いを表しました。
ちなみに母は登山が趣味でしたので前を歩いた人の後を追って歩く「ふみあと」という文言にしました。
この改修を機に今までの歴史の話しを再度聞き、墓守として受け継いでいく良い機会となりました。ありがとうございます。



向こうが透けて見える半ドーナツ状の墓石に「心」の文字と桜

群馬県 小平様

お墓建立の際のエピソード

長い雨(闘病生活)が止み、空に虹が架かる。残された者たちの頭上には、あなたの素敵な思い出がいっぱい。
神様のように誰にも優しく、ゴルフが大好きな人でした。それでいて、いつでも私たちを側で見守っていてくれていた。
人への思いやりの大切さを教えてくれた父の墓石には、「精神美」の花言葉を持つサクラと共に、父創設の社名ロゴにもなっている「心」の文字を刻みました。





「縁」と刻んだ墓石の前にガラス製の富士山、登る月も

神奈川県 清水様

お墓建立の際のエピソード

私は、この地(関東)で、お墓を建てる事になるとは思っていませんでした。
というのも、主人も私も故郷は愛媛で主人は長男であり、いずれ主人の実家の墓に入るものと思っていましたが、主人が急になくなり、諸事情で実家のお墓には分骨しかできませんでした。
そんなわけで、あれこれ手続きが終わった頃、右も左もわからないままお墓を探し始めました。通いやすさ雰囲気などを見ていくつも資料を取り寄せ、3~4 件に絞りました。
その中でも私が強く心を惹かれた霊園が、グランディアメモリアルのお花の中に建つ、ガラスを使ったお墓でした。というのも、私は昔ながらのお墓は(厳かかもしれませんが)、暗いし、寂しいなと感じていましたので、自分は入らなくてもいいから海にでもまいて欲しいと、常々、子供たちに伝えていました。
ですが、お花に囲まれてしかもガラスを使ったこんなステキなお墓なら、お参りに来るのも足が向きやすいし、自分も入ってもいいかなと思いはじめました。
ただ、自宅からは少々遠かったので、初めは何件か他の所でガラスのお墓が建てられるか聞いてみましたが、私の思うようなガラスの使い方は難色を示され、やっぱり無理なのかなと半ば諦めかけていましたが、グランディアメモリアルにご相談したところ、快く引き受けて下さいました。
主人は山のように動かない人でしたので、山をイメージしガラスで…(いっその事、富士山にしよう)
背景には、月を登らせて…(戒名をつけて頂いた時、月を以て、仏様の世界を表現していて、月の世界で、ゆったりと過ごしてもらうと共に、昼は見えなくても、太陽の影に存在し、私たちの傍で、見守ってくれているという意味がある)と教えて頂いたので、そのように、これからずっと私たちを見守ってもらえるようにとの思いで月を入れました。
そして桜が咲いていたら心が和むだろうし、また桜には諸行無常の意味もあり、お墓にはぴったりなのではと入れました。また、主人が亡くなる前に、「縁(えん)あって出会ったのだから…」という言葉を言い残したので、心に残ったその言葉をいれようと縁(えにし)という文字を入れて頂く事にしました。
せっかく、ガラスの富士山にしたので、後ろの部分から少しでも光が差し込むように、くりぬいてもらったり、香炉を富士山の台座の下に組み込んで頂いて一体化したり、花立てもなるたけ後ろを隠さないように低くして、また拝石には、川、もしくは湖面に立つ波をイメージしてウェーブを2本入れて頂き全体に角を丸くしてやわらかな感じにして頂きました。
そして何回も何回も細かい事を言って直しを加えて頂き、ご迷惑をおかけしましたが、嫌な顔一つせず、お付き合い頂きました。
おかげ様で、納得のいくものが出来上がりました。大変満足しております。ありがとうございました。
富士山も月も桜も、私の好きなものになってしまいましたが…きっとこのステキなお墓なら一人でいても寂しくないだろうと…。
また何年か先、私が逝くまで、待っていてくれると思います。





卓球大好き人生を象徴した「ラケット」と「ピン球」の刻まれたお墓

広島県 中村様

お墓建立の際のエピソード

主人は漁業関係の団体に勤務する傍ら、趣味の卓球を生きがいに地域の高校
などでコーチを務めていました。また自身も試合に参加していました。元気で
「 80 才くらいになったら『ねんりんピック』に出たい、それまで卓球を続ける」
と言っていました。しかし、突然の病には勝てず、 60 歳代半ばで帰らぬ人とな
ってしまいました。
生前主人は「これからお墓を作るのなら、生前その人が何をしていたか誰でも
分かるようなお墓にしたい」、「ラケット型のお墓がいいな」と漏らしてい ました。
そこで中学・高校時代の卓球部後輩である地元の石材店と相談、あちらの世界で
卓球を続けさせてあげたいと言う「想い」で、 「ラケット」 と 「ピンポン球」 を
デザインに取り上げたお墓を制作しました。 
ラケットを墓石に「レリーフ」し、「花立」をネットの支柱に、納骨する蓋を
卓球台に見立て、ピン球に見立てた丸い部材に線香皿を施し、線香及びロウソク
立にしました。
思っていた以上のお墓ができて、本人も喜んでいると思います。





自らの書で「感謝」を彫ったお墓 家族全員参加の楽しいお墓づくり

山形県 枝松様

お墓建立の際のエピソード

我が家のお墓づくりは、とても楽しく幸せを感じられるものでした。家族全員
(5 人)が、それぞれの思いや希望を出し合い、全てが叶えられたすてきな集合
場所が出来ました。
長男(英くん)の思い
お墓の正面には初代おやじの自筆の文字をドーンと残してほしい。
長男の妻(ちいちゃん)の望み
墓石選びでは、参考にするために皆で園内を見てまわった時、石はやっぱり黒
色で艶もあってお洒落な石がうちの家族にはお似合いかもよ。皆が納得。
孫(莉子ちゃん)の願い
担当者との打合せのとき、当時小 1 だった 莉子ちゃ
んが、まわりに沢山のお墓ができたら、じいじがせっ
かくのいい景色が見えなくなると心配し、もっと高く
してほしい。
小さな体で担当者に詰め寄りながらお願いした姿、
それは真剣そのものでまわりの大人もびっくり。
応募者の妻(ばあば)の希望
じいじが作ったお庭の木々にずーっと癒されてきた
「門かぶり松」や 莉子 ちゃんの好きな「トトロの木」
があったらなあ。そして大好きな枝松家が代々繋がっ
てきた証の家紋も大切だと思うよ。
応募者(じいじ)の頑張り
おやじの字を残してほしいと言われて、とてもうれ
しかった。いい家族に恵まれ、幸せであることを「感
謝」と「枝松家」の文字で表現することに決めました。
一世一代の気持ちを込めて書きました。
また松とトトロのデザインもお願いしましたが、なにせ初めての試みだった
様で、担当者も「トトロって何?」大変戸惑った様子でした。庭の写真やトトロ
のぬいぐるみを持参 しながらお願いし、そして出来上が ったお墓は皆の思いや
気持ちで温もりさえ感じられるものでした。さすがプロの技で全てを叶えても
らいました。 石材店のお計らい感謝しております。

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