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有名人のお墓

バッハの墓 1685-1750

掛け値なしに偉大な音楽家、バッハ。だが、生前の彼に対する評価は、“単なるオルガン弾き”でしかなかった。バッハが残した音楽は、死後200年以上たった今なお、人々の心に深く静かに呼びかける。
ヨハン・セバスティアン・バッハは1685年3月21日、ドイツ中部、チューリンゲン地方のアイゼナハに生れた。バッハ家は音楽家の家系として知られ、この町でバッハといえば演奏家のことを指したほどである。両親が相次いで死に孤児となったセバスティアンは、オルガニストだった兄ヨハン・クリストフにひきとられ、その環境のもと様々な音楽に親しみ、多くを学び、音楽家としての感性を磨いていった。
1708年、ワイマールの宮廷オルガニスト兼宮廷楽師に就任。しかし、宮廷楽長が死に、その息子が新たに楽長に任命されたことがきっかけで辞任。ケーテンに移り宮廷楽長となる。ここの領主レオポルド候はバッハを破格の給料で厚遇し、しばしば旅行に連れていった。しかし、ある日旅行から帰ると妻のマリア・バルバラは帰らぬ人となっていた。1723年、ライプチヒにある聖トーマス教会付属学校のカントル(合唱長)となる。ここでは報酬などをめぐるいざこざが絶えなかったが、彼は世を去るまでの27年間をここで過ごした。
バッハの生涯は、決して幸福なものだったとはいえないだろう。彼の死後かなりの時を経て、様々な作曲家による再評価がなされたが、それまで、“大バッハ”と呼ばれていたのは息子のエマヌエルのほうだったのである。晩年、内障眼を病み、ほとんど失明に近い状態だったバッハは、1750年7月28日、脳卒中で世を去った。遺体は聖ヨハネ教会に葬られたが長く忘れ去られ、発見されたのは1894年である。その後、第二次世界大戦で教会が空爆にあったため、墓はゆかりの地、聖トーマス教会に移された。今日、“バッハ巡礼”にここを訪れる人は後を絶たず、墓にはいつも色とりどりの花が捧げられている。

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