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有名人のお墓

ドガの墓 1834-1917

「踊り子の画家」。人々はドガをそう呼んだ。しかし、この呼び名は本人にとっては本意ではなかった。舞台から観客に向かって、微笑むプリマドンナ。練習の合間にトウシューズの紐を直す踊り子。出番を待つ舞台裏の彼女たち・・・・・・。確かにドガは多くの踊り子たちを描いている。彼が足繁くパリのオペラ座に通ったのも事実だ。が、彼は決して踊り子たちそのものに興味を持って描いていたわけではない。むしろ、モデルたちの心理状態などはおかまいなしに、特定の主題を何度も繰り返し描いている。
1834年、エドガー・ドガはパリの有名な銀行家を父に生まれる。彼は裕福な家庭の子弟として教育を受け、法律の勉強を始める。が、かねてから絵に対する思いが強く、父に画家の道を歩む許しを乞い、絵の勉強を始める。ジャン・アングルの弟子のふたりの画家に師事し、彼らを通してアングル自身にも会い、師はドガに「とにかくたくさん線を描きなさい」と助言する。優れたデッサン力を持つドガはこのことばに励まされ、また、その教えを守り続けた。
一方で、ドガは同世代の画家たちの新しい波にも影響を受ける。そのひとりが、同じ上流階級出身のマネである。
父が1874年に亡くなると、たちまちドガ家は借金を抱えることになる。彼は生れてはじめて作品を売って生計をたてなければならなかった。その上、1871年プロシア戦争に出兵し目を痛め、視力の低下にも苦しんでいた。が、こうした不安をうめるのもまた、絵を描くことであり、「数時間でも絵を描かないでいると落ち着かない」というほどであった。「愛があり、絵がある。そして、心は一つしかない」というドガの生活に女性の入り込む余地はなかった。ただひとり噂に登った女性に画家のメアリ・カサットがいるが、教師と弟子の友情で結ばれていたと見る方が正しいようだ。
40代頃になると、ドガの主題ははっきりとしたものになる。友人たちの肖像画、騎手、裸婦などの他、踊り子や歌手、洗濯女など、当時としてはあまり尊敬されない職業の人々を描き、スキャンダルを巻き返すこともしばしばであった。次第に衰える視力には勝てず、晩年には、手早く仕上げることのできるパステル画などを描いていたが、1912年、ヴィクトール・マッセ街のアトリエを強制的に立ちのかされた時、健康や衰えも相まって制作活動が終わる。
1917年、彼は生まれ育ったパリで一生を終える。モンマルトル墓地に、ようやく安住の場所を見つけて。

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