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有名人のお墓

スタンダールの墓 1783-1842

VISSE,SCRISSE,AMO・・・・・・生きた、書いた、恋した・・・・・・。スタンダールがその遺書に書いた墓碑銘だが、自らの一生をみごとに一言で表現した至言というほかはない。ナポレオンという嵐がヨーロッパに吹き荒れ、その余燼がくすぶり続けた革命の時代。あくまで自我を貫いて生き、たぐいまれな旺盛さで書き、そして、多くの女性たちを情熱的に愛した。
スタンダールことアンリ・ベールは、1783年、アルプスの山間の小都市グルノーブルに生まれた。地方都市の裕福な家に育ったアンリ少年は、7歳で母を亡くし、その原因は父にあると思い込んで、父と故郷を激しく嫌い、早くからパリに出ることを渇望して勉学に励んだ。そして、1799年11月、ナポレオン・ボナパルトがクーデターをおこしたその同じ月に、彼はパリに出る。
アンリが初めて得た職は陸軍省の書記。ナポレオン軍のイタリア遠征に従ってミラノへ渡る。もしこの時彼がイタリアへ行かなければ、作家スタンダールは生れていなかっただろう。
そして、もうひとつ。ミラノで彼が得たものは、「恋」だった。18歳のアンリは5歳年上の妖艶な人妻アンジェラに恋をした。35歳の時、生涯に一度といえるような恋をした。かの『恋愛論』を書く動機となった女性マチルド。彼女もまたミラノのブルジョワの娘。ミラノは彼にとって幸福と美の象徴ともいえる。
スタンダールが、いまでいうフリーのジャーナリストとして雑誌などに寄稿し、パリの社交界にその名が知られるようになったのは、40歳近くになってから。ロマン派の文芸サロンに出入りし、若きユゴー、シャトーブリアン、ドラクロア、バルザック、メリメたちを知る。しかし、一部のインテリたちにこそその才知は認められていたが、「文学的成功」にはほど遠かった。1822年に出版された『恋愛論』の出版元は著者に「この本には誰も手を触れません」と書き送っている。彼の名を今日に残した『赤と黒』の当時の評判はひどいものであった。彼の小説が存命中に評価を受けたのは、最晩年の『パルムの僧院』をバルザックが激賞した時ぐらいのものだろう。
1842年、スタンダールは、パリの街角で倒れ、常宿にしていたホテルへ運ばれて2日後に息をひきとった。生涯独身だった彼の埋葬に立ち会ったのは、メリメのほかわずかに3人だったという。
59歳の死の年まで、ヨーロッパの街々を忙しいくらい転々とした彼だが、ミラノと同じくらいパリの街には愛着を持っていた。

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