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有名人のお墓

ドビッシーの墓 1862-1918

天才というものは、自ら偶然を引き起こす力を持っているのだろうか。アシル・クロード・ドビッシーが音楽の道に進むようになったのもある偶然からであった。
1862年8月22日、サン・ジェルマンで陶器店を営む家にドビッシーは生まれる。一家の暮らしは楽ではなく、ドビッシーが音楽に目覚めるような環境は全くなかった。彼が初めてピアノに触れたのは伯母クレマンティーヌ・ルースタン夫人の家である。ふとしたことからショパンにも教えを受けたことのあるモオテ夫人が彼のピアノに才能を見ぬき、自ら彼のレッスンを引き受ける。たちまちのうちに腕を上げていった彼は、1872年10歳の若さでパリ音楽院へ入学を許され、10年あまりをそこの学生として送る。
1884年にはローマ大賞を獲得し、彼はローマへ留学するが、「兵営の生活」のような2年を終えると彼はパリに逃げるように帰る。
新鋭作家として彼の地位を動かぬものにしたのは93年の『牧神の午後への変奏曲』である。マラメルの長詩『牧神の午後』への感動から生まれたこの曲は、翌年演奏され、聴衆を感動の渦に巻き込んだのだった。同年彼は、メーテルリンクの芝居『ペレアスとメリザンド』に出会い、紆余曲折があり、1901年ようやくオペラ・コミック座で上演されることになる。観衆は、その型破りのオペラに当初戸惑いを見せたが、回を重ねるごとに評判をとっていく。『ペレアス』の成功により、彼は1903年、レジョン・ドヌール勲章まで与えられている。
1914年第一次世界大戦が勃発。ドビッシーは銃をとることより、作品を生み出すことが使命と思い、ベルギーのランベール一世とその兵士たちをたたえる『英雄的な子守歌』など次々と作品を発表している。が、彼の意欲とは裏腹に、体は直腸ガンに冒されていた。18年3月25日、完成を信じていた曲をいくつか残し、彼は息を引き取る。

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