常光寺

神奈川県 藤沢市の霊園・墓地

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霊園概要

霊園名 常光寺
住所 〒251-0053 神奈川県藤沢市本町4丁目5-21

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霊園案内

常光寺画像A 常光寺画像B

※弊社建墓実績あり。御見学、資料請求、建墓のお見積りをご希望の場合には事前に弊社までご連絡頂きますようよろしくお願い致します。空き墓所の御確認の上、ご案内をさせて頂いております。


TEL:0467-86-8624
E-MAIL:info@chigasakisekizaikougyou.co.jp


神奈川県藤沢市元町4にある常光寺は浄土宗のお寺で八王山摂取院常光寺という。元亀3年(1572年)に鎌倉・光明寺27世の明蓮社光誉(西隠)が開山として創建した。享保年間(1716年〜1736年)に遵冏が中興し再建した。その後、元文4年(1739年)に火災に遭い宝暦12年(1762年)に再建された。裏の八王子社跡に弁慶塚(http://4travel.jp/travelogue/10937733)がある。「白幡神社誌」によれば、奥州平泉から自害した源義経の首と一緒に武蔵坊弁慶の首も鎌倉の在の腰越に送られ、首実検がなされ、夜の間に2つの首は寒川神社に飛んで来たという。このことを鎌倉殿(頼朝)に伝えると、白幡神社としてこの神社に祀るようにと下知され、義経を御祭神として白幡神社となった。弁慶の首は八王子社として祀られた。山号はこの八王子社に因むものであろう。なお、八王子権現は山王権現の祭神大国主尊の子であり、山王社のある地は必ず八王子権現を祭るとされる。

 本尊は阿弥陀如来三尊立像で、本尊中尊は像高99cm、全高204cmで上品下生印を結んでいる。南北朝頃の作でもとは鎌倉扇ヶ谷阿弥陀堂奉安仏の阿弥陀如来であった。両脇侍は後世(江戸時代頃)の作とされる。

 明治5年(1872年)から一時期、藤沢駅邏卒屯所(警察署)が設置され、山門前に記念碑がある。
 常光寺のカヤの巨木(http://4travel.jp/travelogue/10937738)はかながわの名木100選になっており、常光寺の樹林(http://4travel.jp/travelogue/10937771)は藤沢市指定天然記念物にもなっている。

下記の石材店であれば、全優石保証書が付きます。 (一部例外あり)

茅ヶ崎石材工業株式会社 TEL:0467-86-8624

ご注意・特記事項

※弊社建墓実績あり。御見学、資料請求、建墓のお見積りをご希望の場合には事前に弊社までご連絡頂きますようよろしくお願い致します。空き墓所の御確認の上、ご案内をさせて頂いております。


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墓地・霊園Webページ

http://www.fujisawa-kanko.jp/fujisawashukukouryukan/kyutoukaido/osusume/12-osusume.html
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周辺情報

藤沢宿の紹介
藤沢宿は東海道の江戸日本橋から数えて6番目の宿場です。
すでに戦国時代から、小田原北条氏が弘治元年(1555年)に藤沢大鋸町に伝馬(てんま)を置くなど、交通上の要地ではありましたが、慶長6年(1601年)に駅制が定められるにあたって藤沢宿として整備され成立しました。また、それ以前の慶長元年(1596年)に徳川将軍家の宿泊施設である藤沢御殿が築かれていました(17世紀半ばに廃止)。

宿場は境川東岸の大鋸町(鎌倉郡)と同西岸の大久保町(高座郡)・坂戸町(同)の3町で構成されており、範囲は遊行寺東側の江戸方見附(みつけ)から台町の東手前(小田急江ノ島線を越えたあたり)の京方(上方)見附まででした。

藤沢宿の規模
江戸時代の藤沢宿は、天保14年(1843年)の「東海道宿村大概帳」に、宿内人口4,089人(男2,046人、女2,043人)で、総家数919軒、旅籠(はたご)45軒、大名や公用の旅客の宿泊施設である本陣が1軒、脇本陣が1軒と記されています(享和3年(1803年)の記録では脇本陣は2軒)。

同書から神奈川県内各宿場の人口・家数・旅籠数を見ると次のとおりで、当時の藤沢宿は、人口では城下町であった小田原宿、大きな湊でもあった神奈川宿に次いで多かったものの旅籠数は比較的少なかったことが判ります。

藤沢宿の特色
「東海道宿村大概帳」は、藤沢宿の名物を「大山詣で(もうで)、江ノ島弁財天詣で」と記していますが、江戸時代の藤沢宿の特色の一つは多くの道が集まる場所であったことです。メインの東海道を西へ、四ツ谷から北東に分かれる大山道(大山阿夫利神社・大山不動尊へ)、南へ下る江の島道(江島神社へ)、遊行寺前で東へ向かう鎌倉道、北へ向かう八王子道(滝山街道)、北西に向かう厚木道などがあり、流通の中心地となりました。

当時の代表的な名所・旧跡としては、(1)江戸方口にある清浄光寺(しょうじょうこうじ。通称は遊行寺)、(2)宿場から一里ほど南へ歩いたところにある江の島(江島神社)を象徴する一ノ鳥居、(3)京方口近くにある「義経首塚及び首洗い井戸」とゆかりの白旗神社(義経を祭神とする)の三つが挙げられ、いずれも浮世絵に描かれたり、道中記(旅行案内書)に記されたりしています。遊行寺については寺院への参詣とともに、同寺ゆかりの「小栗判官照手姫」の旧跡が観光のメインでした。また、宿場の西の立場(たてば。宿と宿の間の休憩地、人馬の継ぎ立て場)であった四ツ谷(大山道の分岐点(追分)でもある)や南湖(茅ヶ崎市)の松並木、左富士も藤沢宿の名所として浮世絵などに紹介されています。

近代の旧藤沢宿地区
地域における流通の中心地であった旧藤沢宿地区は、明治時代になって宿駅制度が廃止されたのちも賑わいを保ち、周辺の農村地帯からの麦・米等の農産物を買い取る一方、農産に必要な肥料等の販売を行う「米穀肥料商」が繁盛し、資本を形成しました。

明治20年(1887年)に宿場の南に鉄道の駅(藤沢停車場)ができると、徒歩による街道の通行者は減少しますが、旧藤沢宿地区は問屋街に転身して、地の利を生かした広範な商品流通の場となり、地元資本による銀行の設立など、地域経済の核としての役割を担うようになりました。

その後、大正12年(1923年)の関東大震災による被災に加え、昭和初期の経済恐慌のあおりを受けた銀行の倒産など、繁栄にもかげりが見え出し、明治41年(1908年)に誕生した高座郡藤沢町(旧宿場地区と鵠沼村、明治村が合併)の賑わいの中心は、町南部の観光地化、別荘地化とも相まって、次第に南の藤沢駅周辺に移行していきました。







 

アクセス

藤沢市本町4-5-21

【最寄り駅】小田急線藤沢本町駅より徒歩5分

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