エッセイ(ケルトの太陽と巨石と十字架~アイルランドの墓文化~)

エッセイ

ケルトの太陽と巨石と十字架~アイルランドの墓文化~

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ヨーロッパの西の果て。

北海道よりやや大きい島、アイルランドの風景は、冬でも絶えない緑でいろどられているが、旅する人はその緑野のなかにしばしば巨大な“羊たち”を目撃する。

その羊たちのある者は寝そべり、ある者は折り重なって戯れあい、ある者は大きな円陣をつくる。晴れの日に、彼らの姿は白く輝き、曇りの日は美しい灰緑色を発光させ、雨の中では黒く沈む。
必ずや旅人はそのにぎやかな“羊たち”の群に魅せられ、ついに車を降りて野を歩き出すであろう。

緑の牧場は小さな起伏に富み、ところどころ湿地のように水をため、遠望された沃野は「緑の荒野」であったことに気づかされる。そしてその荒野に放たれていた巨大な羊たちが、じつはドルメン(卓状石)であり、メンヒル(石柱)であり、環状列石であることを知る。その瞬間、旅人は「緑の荒野」に5000年前に吹きすぎていった風の音を“羊たち”とともに聴く者となる。いや、その風は“羊たち”のからだ、巨大な石塊が荒野に巻きおこしている、おおいなる気流であったことを知るのである。

ヨーロッパの西の果て、アイルランドを初めて旅したとき、私は地上に現われた石のモニュメントと、そんな風に出会った。紀元前3000年頃から今日まで、この島の住人が親しみ、大地のうえにしるしてきた巨石の太古の風の音、ざわめきがあちこちから聴こえたのであった。しかしそのざわめきは、石の巨大なからだに刻まれた文様に対面したとき、もっと明瞭な言葉となった。

アイルランドの石のモニュメントは、歴史的に三つのグループに分けられ、ひとつは巨石時代から前キリスト教時代までに属するドルメン、メンヒル、ストーンサークル、ひとつは初期キリスト教時代(およそ7〜10世紀)に立てられた石造十字架のグループ、もうひとつは19世紀の民族主義、英国からの独立運動に平行して復活した石造十字架のグループである。花崗岩を主とする。

英国“アングロ・サクソン人に支配されてきたアイルランド”ケルト人は、豊富で多様な「石のモニュメント」によって、彼らの歴史を記してきたのだった。ギリシャやローマの大理石の神殿や神像のコピー(それは今日アメリカ合衆国の首都をも飾っている)に満ちているヨーロッパの諸都市では見られない、まさに歴史としての列石である。それは極西の島アイルランドにこそ残ったヨーロッパ民族の古層の文化、人と石とのおおいなる関係の跡の集合。そしてそれは、古代ケルト人の信仰した自然宗教と、その後(紀元5世紀)にやってくる新しい宗教-キリスト教との断絶を超えて、この島国に造形された「石への信仰」の証しであると思える。

12年前初めて私がアイルランドを訪れたとき、何をおいても最初に見たいと思ったのは、この島最古(紀元前3000年)の古墳ニューグレンジに置かれている巨石であった。

この古墳は、首都ダブリンの北方50キロ、ケルトの母なる河神の名をもつボイン河を望む緑の丘にある。直径80メートル、高さ13メートルの円墳。人ひとりがやっと通れるほどの狭い羨道が、円のほぼ中心にある玄室に通じている。円周部と羨道と玄室を石で構成して、その上に土を盛っているため巨大な土塚とみえるが、円周部の「外壁」(高さ約3メートル)はすべて-とくに羨道入口はドームの上まで-白水晶でおおわれており、さらに円墳の周囲は環状列石で囲んである。
墓のぐるりをおおったこの白水晶の帯は、視界をさえぎるもののないボイン河流域の緑の丘に降り立った巨大なUFOのように見えてきらきらと輝いている。(このような白石をモニュメントの表面に装飾的に用いる方法は、キリスト教時代にもあり、隠修士が籠った花崗岩の石室の表に白石で十字架をかたどるとか、聖人や高僧の墓には墓石をたてるほか、白石を敷くという方法で、聖性を強調するということがあった)。

ところで、このニューグレンジの古墳が今日もアイルランド最古のモニュメント、墓所として国の内外から人々を呼び集めているのは、古代人が羨道に仕掛けたある“装置”のせいである。

<毎年12月21日の冬至の朝、羨道入口上部にあけられた四角い「窓」から真冬の太陽がさし入り、やや湾曲する羨道を貫いて玄室正面の壁へ-おそらくかつて死者の横たえられていた場所の背後>を射るのである。冬至の翌日から再びエネルギーを増す冬の太陽が、死の季節からの蘇りをもたらすと信じた古代人の“再生装置”であることがわかる。

さらに陽光が上をかすめる羨道入口前には、長さ約4メートルの(ファロティックな石柱を横にしたかのような)巨石が置かれてあり、表面には三つ巴や二つ巴様の集合単位をみせながら巨大な「渦巻文様」が刻まれている★(右貢上写真、左上図)。

この「渦巻文様」がいったい何を意味するのか、その答えをわたしたちは5000年前のアイルランドに漂着し農耕を始めた人々に聞くすべはない。が、ニューグレンジの古墳が、夏至の朝日を迎えるべく建造された英国のストーンヘンジと対照的に、「冬」を起点としてとらえ、死と生を往還する自然を冬と夏の太陽に象徴させたと予測できる。そして「冬至」が冬/死の極みであり、同時に再生の初めを画す時点であることを簡潔に視覚化しようとするなら、ここに示したような二つの渦の連続となり、二つの渦の中間に、生の極みにして死やおとろえの初まりとしての「夏」(「夏至」)が表微されるかもしれない。ニューグレンジの渦巻の巨石は、自然のエネルギーの再生を死者に与えようとした古代人のコスモロジカルな墓なのである。

いかにも、巨石時代人のあと、紀元前6世紀頃アイルランドに渡って来たケルト人も、11月1日(サウィン=死者を祀る日=万霊節)を新年とし、一年のめぐりを「冬/死」から「夏/生」(5月1日、メイデイ〔ケルト語ではベルティネ〕)へ「再生」から始めさせた。11月1日の万霊節には、あの世からやって来て、この世で保たれている秩序(★読みコスモス)は混沌(★読みカオス)の力によって事物が生まれ始まると信じた。今でも欧米諸国で祝われる「ハロウィン」はその前夜祭なのである。

アイルランドでは、そうした節の変わり目にあの世や異界からやって来る者は、ドルメンやストーンサークルの地下を出入口にしていると言い伝えられている。その祭りはつまfりキリスト教が入ってからも過去1500年以上ものあいだ続いてきた。とすれば、アイルランドに残る第二の意思のモニュメント-石造十字架-にも何らかの古代の名残りがあるはずである。

今日ケルトの修道院やアイルランドの町の広場に立つ「ケルト十字架」は、「十字」に「円環」を載いているユニークな十字架であり、他のヨーロッパ地域には見られないものである。この「円環」を私たちは「太陽」であると教えられている。古代ケルトの太陽神ルフがキリストに変えられて信仰されたように、ニューグレンジの冬の太陽の蘇りは、新しい神の子の復活のシンボルとして、磔刑/贖罪の象徴たる「十字」に重ね合わされたのであろう。
この「ケルト十字架」が、アイルランドのカトリック教徒の、というよりもケルトの末裔★アイルランド人のアイデンティティーを表わすモニュメントとして、今日も彼らの墓標となっていることが、その証しであるのだ。

鶴岡真弓先生プロフィール

常陸の国生、おとめ座。早稲田大学大学院修了後、アイルランド、ダブリン大学トリニティ・カレッジ留学。処女作『ケルト/装飾的思考』(筑摩書房)で、わが国でのケルト文明芸術理解の火付け役となる。
西はアイルランド、スコットランド、ブルターニュから、東は黒海、ウクライナまで「ケルト文明」の探査、そしてウズベキスタンや内モンゴルなどユーラシア文明の「装飾・デザイン」交流史を追跡中。
『ケルト/装飾的思考』『ケルト美術』(ちくま学芸文庫)、『装飾する魂』『ジョイスとケルト世界』(平凡社)、『装飾の神話学』『ケルトの歴史』(河出書房新社)『「装飾」の美術文明史』(NHK出版)、『黄金と生命』(講談社)『阿修羅のジュエリー』(理論社)など多数。
NHK教育TV「人間大学」出演。ドキュメンタリー映画『地球交響曲第1番』(龍村仁監督)でアイルランドの歌姫エンヤと共演。
鶴岡真弓先生が現在所属する多摩美術大学芸術人類学研究所では、葬送儀礼や墓地に関する人類学的研究を行っています。詳しくはホームページをご覧下さい。
http://www.tamabi.ac.jp/iaa/toptopic/index.html

プロリーク・ドルメン

プロリーク・ドルメン

ベルタニー・ストーンサークル

ベルタニー・ストーンサークル

 
ベルタニー・ストーンサークル

ニューグレンジ古墳羨道入口前の巨石

 
ニューグレンジ古墳 平面図

ニューグレンジ古墳 平面図

春夏秋冬
 
ニューグレンジ古墳 平面図

初期キリスト教時代の
ケルト石造十字架