エッセイ
モーツァルトの墓
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
1756年1月27日ザルツブルク生、王室付楽長にして作曲家。1791年12月5日ごAM0時55分、急性粟粒発疹熱のためウィーン、ラウエンシュタイン通り自宅にて死去。35年の短い人生であった。翌6日ウィーン郊外の聖マルクス墓地に埋葬されたものの、葬儀の参列者は誰も行かなかったため、正確な埋葬場所はいまもって不明。なお、妻コンスタンツェとの間に設けた6児のうち成人したのは2人のみで、いずれも終生独身であったため、モーツァルトの家系は彼らで絶えた。
ガリレオの墓1564-1642
近代科学の父、ガリレオ・ガリレイは、1564年2月15日、イタリアのピサ生まれ。修道院で学問の基礎を学び、その後数学者リッチと出会い才能をめきめきと伸ばし大いなる頭角を現します。1609年、オランダで望遠鏡が発明され、それを自ら改良、天体の観測と研究にのめりこんでいきます。天文観測の成果を「星界の報告」にまとめ公表。名声と栄光の絶頂期を迎えます。しかし、次第に批判や嫉妬をもたらすようになっていき、やがて、コペルニクス説の立場をとっていたガリレオに対する告発がなされ、コペルニクスの著作書は禁書となってしまいます。宗教裁判にかけられ自説の撤回を余儀なくされたガリレオは、失意の底に沈んでいたが、ほどなく『新科学対話』の執筆にとりかかり1638年オランダにて出版。非常に売れ行きだったと当時の資料に記されています。その4年後の1642年1月8日、弟子たちに看取られつつガリレオは長い戦いの後の静かな眠りにつきました。永遠の地はフィレンツェ。その自由で開放的な空気をガリレオは心から愛していました。
ゴッホの墓1853-1890
「もう無駄だよ。悲しみは永遠に続くだろう」。自殺を図り瀕死の床にあったゴッホは、励ます弟のテオドロスに向かってこうつぶやいた。その生を支配したものは失望と恐怖、神経を病むほどの深い孤独。後期印象派の巨匠、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。享年37歳。激しくも純粋に生きた短い生涯であった。ゴッホと弟テオドロスの墓は、広大な麦畑が広がるパリ郊外のオーヴェル・シュル・オワーズの地に、鮮やかな緑に囲まれ寄り添うように並んでいる。
べートーヴェンの墓1770-1827
宮廷楽師であった父親に音楽の才能を見い出され、7歳から聴衆の前で演奏をして、名を広めて行きます。わずか12歳で宮廷オルガニスト助手になり、彼の前途は明るいものに見えたが25歳の時に風邪をこじらせて聴力を失います。しかし、音楽に対する情熱は衰えることなく、作曲活動に没頭し、1808年には「交響曲第五番(運命)」「交響曲第六番(田園)」を初演。
家庭を持つことも夢見ていたが生涯独身を通しています。1827年、病をこじらせて昏睡状態に陥っていたべートーヴェンは死の直前雷鳴がとどろき、かっと目を見開き、右手をふりかざし、そのまま息を引き取りました。不屈の精神を持ったこの天才のべートーヴェンの墓には今も多くの人が訪れています。








