2015/07/02 【明日を楽しむレシピ】
スプレー式塗料等を使って建物の壁等に、タグと呼ばれる文章やイラストを描くアートを「グラフィティ・アート」と言います。このグラフィティ・アートが今、ポルトガルのシニア層の間で流行しているそうです。
若者とシニアを繋ぐLATA 65
ポルトガルでグラフィティ・アートを行っているのは「LATA 65」という文化共有プロジェクトで、シニアが若者の文化であるストリートカルチャーの歴史を学び実践するという活動の一環です。若いアーティストの指導で、シニアたちは街にカラフルなタグをつけていきます。参加しているシニアたちの表情は生き生きとして楽しそうです。
落書きからアートへ、そして取り締まり
1930年代のアメリカで、反政府活動家たちが社会批判を広めるためにメッセージを残したことが発祥のようです。その後、1940年代にはデトロイトの爆弾工場で働いていたキルロイという人物が、完成した爆弾にメッセージを残したことで有名になり、1970年頃になるとニューヨークでは、政治や社会への不安、ギャングによる抗争等でメッセージを残すようになったと言われています。これが現代のグラフィティ・アートの原型となり、時代の流れとともにアートへと変化していきました。
1970年代に入って、サブカルチャーとして人々の注目を集めるようになり、ニューヨーク・タイムズ紙が、地下鉄にタグを描いている一人の少年の記事を掲載し、アメリカ中に知られるようになりました。そして1983年にグラフィティ・アートを扱った映画「ワイルド・スタイル」が公開されると世界中に広がり、グラフィティはさらに盛り上がりを見せました。
しかし、アメリカ各地で地下鉄のセキュリティが強化、さらに落書きは犯罪だとして取り締まられ、地下鉄のグラフィティは消滅。アーティストたちは警察の目が比較的届きにくい貨物列車や高速道路、建物の壁等にキャンバスを求めていきましたが、公共施設への無許可のアートは犯罪行為になり、世界各国で社会問題となりました。
2005年、落書きで埋め尽くされた渋谷区宮下公園周辺は、完成度の高いグラフィティに描き直し、芸術性の低い落書きを減らす試みを実施。これに似た試みが世界各地でも行われ、自由にアートを描いてもらうための壁面を用意する自治体や建物所有者が増えてきました。ポルトガルの例も、これを利用しての若者とシニアとの文化交流なのかも知れません。いずれにしても、グラフィティを楽しむにはモラルを守ることが大切ですね。