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石文化対談

一族制度・家制度と個人主義のあいだ

2020/02/22 【石文化対談】

吉田:必要ないとちょっと困りますね。

加地:そうそう。なぜ墓碑・墓塔が必要になるかというと、そこに一族や家族の印を留めたかったからです。問題の1つは「家制度」についての誤解があります。「家制度」というのは江戸時代にはなくて、江戸時代は「一族制度」だったんです。加地なら加地という姓のグループがあり、総御本家さんがあって、法事などは全一族が集まった。そして、親族会議の了承を得なければ結婚も離婚も簡単にはできなかった。
ところが明治の近代化が始まると、ヨーロッパの「個人主義」の考え方が入ってきた。しかし、「一族」からいきなり「個人」には解体できないわけですよ。一族といっても現実には所帯の集まりですから、そこで一族所帯毎の独立という形の中間守備をとったんですよ。これなら、皆がかろうじて納得できる近代化だった。いきなり個人主義になったら大混乱が起こるわけです。日本は明治の時に一族の中の所帯という形で、個人にいきなりいかないというソフトランディングをしたんです。

吉田:戸主制度ですね。

加地:そう、あれはけっして古いものではない。古いのは総本家さんを中心とした「一族主義」です。これは否定したんですよ。そして個人の核家族ではなくて、世帯ごとの戸主権をもつ家制度というものをつくった。これは当時として非常に近代的なものだったんです。けれども、実際の慣習では一族意識が強烈ですからね。そこで明治民法では「親族会」というものを残してるんです。昭和22年の改正でそれは消えましたが、このルーツを辿るとフランスのナポレオン法典に生きつきます。
ナポレオンがはじめて民法を作ったんですが、フランスというところは非常に階級意識の強いところで「親族会議」というものがあったんです。日本はこのナポレオン法典を読んで、ああこれだというわけで、一族主義的なものはこの親族会議に吸収し、戸主権をもつ家族でいくという民法をつくった。明治政府というのはすごいですよ。当時として画期的なことです。

吉田:ほうー。そうだったんですか。

加地:ただ、それは法律上のことだったんで、実際は依然として死者を葬るという点では一族主義が消えていなかった。そこでなにが起こったかというと、お仏壇です。お仏壇は総本家にしかなかった。次男坊、三男坊はお仏壇をもつことができなかったんですよ。大総本家がだんだん小型になっていってもなお、長男の家のところに仏壇を置くという形。同時にお墓も長男がきちっと管理していくという形だったんですね。これを私はいま否定しているんです。そんな馬鹿なことはないと。どの家にも仏壇があっていいだということを主張しているんです。これからは家ごとに仏壇はもつべきだと思います。もちろん各家ごとですから、小さいものでいいわけですよ。あんな馬鹿でかい仏壇はもう必要ない。 そうすると、お墓はどうするか。お墓のほうでも問題になってくるわけです。お墓はどうするか。お墓はやっぱり継承者が管理していく必要がありますからね、それはそんなに細かく分けられないと思うんです。
あるグルーピングがなければ管理・維持ができない。個人になったら、みな無縁仏になってきてるじゃないですか。ここに悲劇があるわけですね。だから、お墓というのはどこかで個人主義ではやり切れないところがあるんです。管理運営していくのに、個人主義的思想をもっていけばぜったいにできない。無縁墓ばかりになります。だったら継ぐ意味ないですよ。大きな石の碑建てて、みんながそれでお金だし合って遺骨を放り込んで、それでおしまいです。 ところがそこまではいっていないでしょう。京都の常寂光寺などから始まっていますね。戦争中、結婚する相手の人が戦死したりして、戦後ずっと独身で生きてこられた女性の方たちが集まって、共同の墓所をつくった。
これは特別なかたちであって、あれがさらに一般化して独身女性だけが集まる、独身男性だけが集まるといった共同墓が生まれるかといったら、ちょっと疑問ですね。

吉田:最近、同じ気持ちの人が集まってつくる非血縁の共同墓が少し出てきております。

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