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想いを込めたお墓デザインコンテスト

第18回デザインコンテスト受賞のお墓

【ご注意】
こちらに掲載されているお墓は、ご応募された方が想いを込めて作っておられます。安易に模倣等されないようご配慮をお願い致します。



「苦あれば楽あり」を合体させた創作漢字入りお墓

東京都 馬場様

お墓建立の際のエピソード

漢字の研究(漢字の視覚化)をはじめて50年になります。その総決算というわけでもありませんが、自分の墓石は漢字をモチーフに自分でデザインし、その前での写真を告別式に使用してもらおうと、寿陵の建立を決心しました。 自宅も事務所も東京タワーが見えるところとこだわりつづけてきましたが、墓地も東京タワー近くで桜の下と願い、すぐ隣りの増上寺にお世話になることにしました。 有意義に過ごさせていただいた東北の地での15年間に感謝しながら。東北大震災の支援も意識して、「伊達冠石」(仙台市)を採石場まで行って探して購入し、ようやく桜の季節に完成しました。 デザインは「楽」と「苦」を合体させた創作漢字を中央に大きくレイアウトし、「楽あれば苦あり」・「苦あれば楽あり」を左右に配して、上部に「だから人生は面白い」と表記しました。ちなみに、この創作漢字はテレビでも取り上げられ、好評だったデザインです。自分の好きな座右の銘を自分の感性で表現し、後世に残せる幸せを実感しています。



小さな別荘のような「夢」の納骨堂(ストーンハウス)

熊本県 德臣様

お墓建立の際のエピソード

思いと祈りを込めて… 妻とご先祖様が安らかに眠れるように、と自宅の傍にあった先祖代々のお墓を建替えることにしました。 子ども達、孫たちと一緒に石材店の方と打合せを重ねました。妻はその間、自宅の居間で花に囲まれ、私たち家族を見守ってくれていました。 寒さが和らぎ、桜の季節を過ぎ、麦穂が色づき始めた頃、お墓は完成しました。納骨の日に私は親族の前で手紙を読みました。妻へ、ご先祖様へ、家族へ向けての思いと祈りを込めて。 お墓とは、人がこの世から去っても子孫を通じてずっとお世話になるもの、そして今の自分があるのはご先祖様の築いてきた歴史の上にあることを考えさせてくれる場所なのではないかと思います。 “ありがとう”の感謝の気持ち、“夢を持って生きていこう”…こんなすてきなことを考えさせてくれるすてきな場所ができたことを誇りに思います。



この場所が語らいの場になるように「語」入り

山梨県 椎名様

お墓建立の際のエピソード

八ヶ岳が好きで30数年前横浜から移り住み、薪ストーブの販売店を経営してきました。先祖の墓地を横浜から改葬し、自らも入るお墓を八ヶ岳南麓に建立することにしました。 碑石のデザイン、彫刻画とも私が自ら描きました。背の高い碑石の形は山並みをイメージ。心静かに小さな庵(いおり)で、夫婦二人心静かに最後を迎えたいという願いを込めました。(実際はお店が繁盛し、まだまだ静かな余生というわけにはいきませんが) 道は天(あるいは浄土)へ上る道、二輪草は夫婦を表しています。上部の「語」はこの場所が語らいの場になるように、という想い。花立と線香立の形も夫婦をイメージしました。明るい赤の御影石の背の高い碑石が青空と八ヶ岳に包まれ、しっくりと景観になじんでいます。



ふるさとの現風景『希望の海』をイメージしたお墓

兵庫県 中山様

お墓建立の際のエピソード

主人は、日ごろから家族を大切にする、思いやりのある心優しい人でした。子供たちや、8人の孫からも慕われ愛されていました。その主人のために石材店から紹介された「希望の海」を選びました。元々一般的な和型ではなく、安定感のある洋墓タイプをと思っていました。 「希望の海」』は故郷-ふるさと-の現風景をコンセプトとして、瀬戸内の太陽、海、鳥、山、船、灯台、玉をデザインに取り入れています。石は香川県産の世界一の銘石「庵治石」を使用し、全体に丸みのあるフォルムに、磨きの部分に石をたたいた「ビシャン仕上げ」を取り入れることで、優しい柔らかさを表現しています。もちろん庵治石材産地の石職人さんによる、心を込めて制作された作品です。 「人生を舟にたとえ、荒波にもまれ、幾多の山を越えながら、未来(子々孫々)へと続く幸せ(繁栄)を祈る姿」を意味したお墓に仕上がっています 自然と動物を愛する、心優しき主人にぴったりだと思います。また、「山」を表した部分に、主人が特に好きだった鳥「メジロ」を影彫りにした石板を取り付けました。主人もきっと、穏やかで緑あふれる自然の中で「メジロ」達と共に心安らかにすごし、家族や子孫の未来を天国から見守っていることと思います。



「天に星、地に花、人に愛」の文字入りお墓

奈良県 伊藤様

お墓建立の際のエピソード

この墓石を制作するきっかけは、先祖から受継いだ、京都の西方面に存在していた古い墓の改葬です。昨年亡くなった妻は、参拝する時に気持ちよく参拝できないと言っていました。京都の古い慣習と、お墓のある置山の中の環境は非常に悪かったのです。 そこで亡くなった妻の法名と先祖の法名を記彫し、墓標には彼女の好きだった「天に星、地に花、人に愛」と表記しました。建立者、及び兄弟は年少の時から馴染んできた言葉を釋妙道(妻の法名)に教えられました、その他家族の希望で墓標に花とヒマラヤの山の風景を彫刻してもらいました。この墓標の表面に描かれているヒマラヤの山は、まだ元気だった一昨年、歩いて観光に行ったアンナプルナ山です、ネパール人は先祖の眠っている墓であるといって、毎日合掌し参拝していました。この墓は、祖先の人が祀られて、後の世代の人たちが、生きている喜びを、感謝しながら、祈りをこめて参拝に、快く来てくれるような、誌的文章を彫刻しました。



鍛冶屋を仕事とした父の証、金床(アンビル)を線香立てに

静岡県 大木様

お墓建立の際のエピソード

亡き父を想う時、寡黙、生真面目、心根の優しい、といった言葉が浮かんできます。 戦後、父は縁あって小田原の実家から伊東に移り住み、鉄工所を立ち上げ、母と結ばれ、この地を終の住家としました。 戦後の混乱と復興の中、叩き上げの鍛冶屋として、その腕一つで家族を支えてくれました。 そんな父は、野に在る自然の玉石に似て、朴訥とした優しい人でもありました。 生前、草木をこよなく愛し、中でもとりわけ桜を好んだ父を、滝桜で有名な福島県の三春より産出する玉石(青鍋石)に見立てました。数ある石の中から、探し出した父をイメージする1個の玉石を分割、その1つに大木家の文字を、残りの2つを手前両脇に、草花を愛した父のために花立てとして取り付けていただきました。 遺骨を安置する部屋の上面には円形の曇りガラスをはめ込み、このガラスを透かして伊豆の澄んだ陽射しが父の遺骨に降り注ぐよう配慮していただきました。部屋内部の遺骨の左右片側には、亡き父の足形を彫り込んだ石板が置かれ、今は元気な母の足形もやがてその対面に配されることになっています。これは、伊東の地で二人三脚、家族をしっかり守り育ててくれた両親の姿を暗示しています。 そして、墓前には鍛冶屋の仕事に誇りを持って生きてきた父が、生涯大切に使っていた金床(アンビル)を線香立てとして特別に作っていただきました。今、お墓は高台にある大きな椎の木に抱かれるように、生家の小田原へ続く相模湾を見下ろしています。



誰にも平等でいつも見守ってくれている「空」の文字

静岡県 古橋様

お墓建立の際のエピソード

正面の空は、父親、母親に空から見ていてほしい、見守ってほしいと願って彫り込みました。 空は誰にも平等でいつも見守ってくれています。空には、太陽があるようにお墓の左上部をくりぬき、ガラスに家紋を彫刻してはめ込みました。時には、風が吹き違う色の石を風に表現をして(茶赤色)います。時には雨や雪を表現する部分では、墓石全体に、ノルエー産ブルーパールと言う石を使いいつも輝いています。虹を表現したり、みんなで意見を出し合いとてもいいお墓が出来たと思っています。ありがとうございました。 お墓を建てるとき思ったこと。 実は、私の父親も職種は違いますが一級技能士の資格を持っております。洋服仕立てという地味な仕事ですが、小さい頃から父親の仕事を見て育ちました。成人式、就職の際には「お祝い」ではないのですが、洋服を仕立ててもらいました。 そんな父親は、当然自営業ですので、仕事の合間をみて、地元の交通安全のために「交通安全指導員」として地元に貢献してきました。私が小学校の通学の時には父親の「交通安全指導員」姿を見ていましたので、30年以上やっていました。地元のためのボランティアと言ったところでしょうか・・・・・・。雨の日も風の日も、園児・児童・学生の交通安全のために街頭に出て指導をしておりました。 そんな父親に悲劇が襲いました。忘れもしない平成18年4月6日・・・・その日は地元小中学校の入学式でした。入学式、そして春の交通安全週間の初日・・・・父親が街頭指導に出ないはずがありません・・・・・ 元々、交通事故の多い交差点で街頭指導を行なっていたところ、一旦停止無視の車との出会い頭の車対車の交通事故に巻き込まれ、一命はとりとめたものの集中治療室に入るほどの重傷を負い、父親のかすかな「大丈夫・・」との言葉に安堵したのもつかの間、先生からは「脊髄の完全損傷で下半身麻痺は避けられない」との言葉に、家族一同愕然としました。 そんな重傷を負った父親は、ベッドでも「子供は巻き込まれてないか」、と自分のことより子供を気にする父親に、本当に頭が下がる思いでした。事故当初は父親自身も事故の怪我で下半身の感覚が鈍いだけと思っていたようでしたが、日に日に、いつまで経っても戻らない下半身の感覚に、「一生歩くことができない」という現実を受け入れるのは、本人にしか分からない非常に辛いことだったと思います。 退院後、父親の介護中心の生活が始まりました・・・。子供達は皆、結婚しているので母親が介護をすることになりました。当然のことながら下半身の感覚がないので、お下の世話も必要で、夜も体位の交換やオムツの交換で母親の負担はかなりのものだったと思います。そんな生活が3年を過ぎた一昨年の年末・・・・父親の介護に明け暮れていた母親にも悲劇がおとずれました。残念なことに、末期がんで余命半年との診断を受けました。 父親の交通事故・・・そして母親のがん告知・・・・・神様は、どれだけの試練を与えるのだろうと思いました。結果的には母親も丸1年頑張ってくれて、昨年の12月27日に息を引き取りましたが、がん告知からの1年間は、やり残したことに悔いは無いかと言われれば嘘になりますが、精一杯、残された時間を母親と接し、また、母親の負担が少しでも減るようにと父親の介護をしたりと、兄姉3人で頑張ってやってきました。 そんな思いもあって、今回は分骨して母親(いずれは父親も)にも自分のお墓に入ってもらいたい、と言う思いも強く、まだ、自分のお墓を考えるには早いのですが、お墓を建てる思いになった次第です。



「笑顔でお参りし、元気になれる場所」

東京都 西様

お墓建立の際のエピソード

夫婦で居酒屋を営み笑顔が人気の主人のために、近くてお参りに行きやすい霊園を選びました。 お墓は「笑顔でお参りし、元気になれる場所」と考えて、お墓のデザイン集や実際に色々なお墓を見学して回り、お城や宮殿をイメージしてデザインを考えました。石種も国産インド産と何種類か使用してます。 表面に入れたお花のレリーフは娘が試行錯誤して仕上げた一品です。ローソク立てはお線香の火を安全に灯せるように設置しました。(大変好評です。)そして、家族皆がお気に入りの主人の写真を元にイラスト化していただき、お戒名の上に彫刻しました。 私が1人でもゆっくりお墓参り出来るよう、前柱の高さを腰掛けやすいように調整して頂いたので、主人の笑顔を見ながらお参りさせて頂いております。お墓を建てて良かったと思うことは、友人やお店のお客様がたくさんお参りに来てくださり、ご近所でお会いした時、お参りに行って来たよ!と声を掛けて頂けることです。いつまでも主人は私達の心の中にいて笑顔と元気をくれています。



夭折した息子の墓は、天に登る蝶の羽根型、その脇に息子自作の詩やイラスト入り

大阪府 山田様

お墓建立の際のエピソード

20代の若い息子を亡くしました。最初は、ステンドグラスのお墓をと考えていましたが、いろいろなデザイン墓を見て、こんなに自由に、お祀りできることに感動し、さらに発想が広がっていきました。 私が好きな蝶をかたどったお墓は、天使の羽にも見え、もうひとつの旅へと天を翔る息子の雄姿に重なります。その隣の優しい色の石には息子が作った詩、イラストを彫刻し、愛用のギターと車、タバコなど、息子を想う空間にしました。 墓石には好きなバラと蝶の彫刻が、より綺麗に見えるように、黒い石を選んで彫刻しました。 私ども家族・親戚だけでなく、息子のお友達もお参りしてくれ、お花の絶えない明るく賑やかなお墓になっています。



特定の宗教や思想にとらわれない、ニュートラルなデザイン

山形県 金田様

お墓建立の際のエピソード

わたしたち金田家の先祖代々の家族墓です。 墓地に点在している先祖の個人墓が古くなったため、改葬して1つにまとめたものです。お墓というものは、家族墓の場合、先祖や現在の家族だけでなく、将来続いていくであろう子孫のことも考えて造ることが重要なのではないかと考えました。 そのため、未来のどの世代にも受け容れが可能であるように、特定の宗教や思想にとらわれない、できるだけニュートラルなデザインにしたいという思いをこめて造りました。竿石はやや先細りの四角柱とし、平薄の基檀を重ねることで、シンプルな形状としています。中台や上台などの装飾は一切なく、正面に家名と家紋の彫込みのみを加えています。 12尺×15尺の敷地内には、一面に白砂利が敷き詰められ、その中に、墓石と同材の墓誌と物置台がバランスよく設置されています。 実際に出来上がってみると、家族や親戚の間でとても好評で、私もすごく愛着を感じています。お墓というものが意識の中で身近に感じられるようになり以前はお盆にしか行くことのなかったお墓に、日常的に訪れて線香を上げるようになりました。 このお墓を、我々家族にとって欠かすことのできない大切なものとして、しっかりと将来に受け継いでいきたいと思います。



夭折したわが子をおんぶしている自分を刻んだお墓

岩手県 宮川様

お墓建立の際のエピソード

故郷は離れておおよそ十年。北海道から九州まで「道なきところに道を造る」仕事に直接・間接に関わってまいりまして、年齢のことなど眼中になく、なりふり構わず邁進して参りました。六年前に職を辞し、気がついて見たら「古希」となっておりました。何はさておき、今までさしたる病もせずに健康に過ごすことが出来ましたことは、神仏の御加護の賜物と感謝しております。幼少時に近所におりました十数人の友人、知人が誰一人いなくなり、昔語りをすることを楽しみにしておりましたが、果たすことが出来ず、寂しい限りでありました。浦島太郎になってしまいました。 人にはそれぞれの人生観がございますが、私は七十歳を一つの区切りと致しまして、それ以降は余命と思って、今までに出来なかったことすべて自分の時間として「土に帰るまで」思う存分使いたいと願望して参りました。六年前にすべての拘束から開放され晴れて自由の身となりました。我が世の春がやってきた訳です。(冬場の5ヶ月は休み)。遂にその時がやって来ました。まず山小屋風の倉庫のような家(「終の住処」)に保管しておりました「汗牛充棟」、永久保存に値する約一万冊に及ぶ書籍と膨大な資料の整理から始めました。その他の諸々の物品の整理も併せて約三年の月日を要しました。 月日の流れすこぶる早く、もう少しで「喜寿」を迎えるに当たり、「生者必滅」何時お迎えが来ましても後顧の憂いのないことをしておかなければと思料する至り、早速我が家の菩提寺の住職様にご相談しましたら空いている箇所を幾つかご紹介いただき、結局両親の眠っている最も近い所に建立することにしました。私はお墓に対して一つの思いがあり、石の塊を積み重ねたということでは味気なく思っておりました。ユニークでモニュメント的な墓石としたいと願望しておりました。それではと知恵のない頭を絞りながら二ヶ月ほどあれやこれやと考えた末、デザインポリシーが決まりました。コンパクトでシンプル、そして私が携わった仕事が一目で分かり、そのうえ私の心から消えることのないことを表現することに致しました。まず正面から見て上半分はトンネルの断面を表しその中を走行している電車のヘッド(頭部)を示し、中央部には童地蔵を模した夭折したわが子と負んぶしている自分を表しております。また、名前は篆書を用いました。制作をお願いいたしました石材店の皆様には終始熱心に取り組んでいただき、平成二十三年十月十三日に完成することが出来ました。ここに厚く感謝と御礼を申し上げます。追って十月二十三日に住職様のお取り計らいにより、開眼法要を無事済ますことが出来ました。その後友人たちに写真をお見せしましたら、皆さん大変感激されておりました。人間、自分で自分の葬儀を行うことは出来ませんが、参列された方々に感動を与えられればと思っております。末長く法要していただきますよう祈っております。最近はいろいろな埋葬のやりかたがあるようですが、最後は「土に帰る」のが世の摂理にかなっていると思います。私は人間としやるべきことを果たし、安堵いたしております。これからも今までより以上に心置きなく安心して日々を送れますよう切望しております。



千の風に何かを想っていただけるように、「想う」の文字

静岡県 川島様

お墓建立の際のエピソード

私の妹はドイツで暮らしていたこともあり、とてもモダンな人でした。そこで、お墓はヨーロッパのフラットな墓石を参考にし、できるだけシャープで個性的なデザインにしました。 お墓参りに来た人が歌の歌詞のように、千の風に何かを想っていただけるように、「想う」の文字を実際に孫が染筆しました。天国に旅立った妹が家族を想うように私たちもまた、妹のことを忘れずに想っているのです。



お墓の前には、大好きな孫の手形を

静岡県 緑川様

お墓建立の際のエピソード

このお墓は、家族からのラブメッセージ。 なによりも家族を愛し、家族を守りつづけてくれたのに…。あふれる想いでいっぱいでしたでしょうに…。 天国に旅立った主人のことを家族みんなで思い出しながら、設計の仕事をしていた主人のセンスに合わせてすっきりシンプなデザインのお墓にしました。墓石の英文メッセージは「安らかにお眠りください。思い出は生き続けます。私の中に、永遠に」―――このメッセージが映えることを考えたお墓です。そして、お墓の前には、大好きな、大好きな孫の手形を。家族はひとりじゃない。みんな一緒だよ!主人の思い出が、ここに来ればよみがえります。



お父さんをいつでも感じられるお墓。いつでも会えるお墓

静岡県 大塚様

お墓建立の際のエピソード

お父さんをいつでも感じられるお墓。こんな自由なお墓づくりができるなんて思ってもいませんでした。お父さん(主人)のための、お父さんの憩いの居間のようなお墓。これでいつでもお父さんを感じていられます。 柔らかな色合いの石のスロープは、大好きだったゴルフのフェアウェイ。前の5つの丸いプレートには、愛読していた本と自慢のゴルフクラブ、そして17年間散歩を共にした愛犬の写真を・・・。残りの2つには、家族の好きだったものを彫刻しました。生前、暗くて狭いお墓に入るのは嫌だなと言っていたので中央には海のような明るいガラスを組み込みました。もうこれで寂しくないでしょ。 お父さんのお骨は沖縄の海に撒きました。海流に乗って200年後に戻ってくるそうです。お父さんをいつでも感じられるお墓・・・。お父さんにいつでも会えるお墓です。



見ただけでも安らげて和らぐ感じの墓に、両サイドにベンチ

宮城県 黒崎様

お墓建立の際のエピソード

私共夫婦はまだ元気に暮していますが、健康な内にということで、いずれお世話になる墓のことについて二人で話し合って居りました。生前に自分の墓を作って確認しておこうという結論になり、どうせ作るなら世間一般の墓と違った、見ただけでも安らげて和らぐ感じの墓をと考え思って居りました。 そんな時に紹介された墓石屋さんと、じっくり相談しながら話を進めて参りました。その結果、私共夫婦の考えていたイメージ通りのデザインに設計していただき感激でした。正面中心の部分の墓石に大きな文字で「心」と彫んでいただき、両サイドの石は将来墓参して戴いた皆様に気楽に腰を休めていただいて、私達の有りし日の思い出を語っていただければと思っています。基礎の部分には、太い鉄筋が入り床面にも十文字状に鉄筋が入り、ガッチリした耐震にも配慮された施工で安心しました。良い墓石屋さんに出会えてほんとうに良かったと感謝して居ります。時々見に行くのが楽しみになりました。



思い出深い泉ヶ岳、モトクロスバイク、そして桜

宮城県 小野様

お墓建立の際のエピソード

主人は単身赴任をしておりました。帰仙するたびに泉ヶ岳を眺めたものです。それで墓石には、思い出深い泉ヶ岳を入れていただきました。又、主人は季節の移ろいを病室で迎えました。窓を通して見る風景は、舞い散る雪の冬から風香る春へと変わり、遠くに見える1本の桜の木はやがて満開になりました。その桜を幾度見つめたことでしょう。そしてバイクは若かりし頃、モトクロスを趣味にしていた主人の愛用のものを再現して下さるようお願い致しました。桜舞い散る中をバイクで走ったらどんなに爽快だったことでしょう。英文はもう病気で苦しむことはなく、再び私達家族と会える日を待ち望んでいることを記していただきました。私達家族のために懸命に働き54歳という若さで逝ってしまった主人に感謝の思いを込めたものにしたいという、私達の願いが込められています。



波を表現した墓石、丸いステンドグラスは穏やかな海の表面

宮城県 佐々木様

お墓建立の際のエピソード

生前、海釣りが大好きだった主人のために、海を感じさせるようなお墓をつくりたいと思っていました。墓石に魚や釣り竿の絵を入れるのではなく、何か独自の表現方法がないか考えていたところ、石で波を表現するという方法を思いつきました。色と高さが異なる、厚みのある2枚の石を隙間なく重ねました。ただ2枚の石を並べるだけではなく、角度にもこだわり、何回も修正に修正を重ねました。後ろの石には海を感じさせるようなステンドグラスを入れました。ガラスは、穏やかな性格だった主人のように、波のないときの穏やかな海の表面のような模様を選びました。晴れた日に柔らかい光が差し込むと、ステンドグラスがまるで海の表面のようにキラキラと輝きます。 主人らしいお墓をつくることができ、とても満足しています。



宮城県産「伊達冠石」に、歌人でもある兄が碑文を

群馬県 神田様

お墓建立の際のエピソード

主人が亡くなり二度目の春が訪れました。主人がこの世を去ったのは二月十一日、その一ヵ月後東日本大震災が起きてしまいました。それから月日が経ち、私達家族は墓石展示場の数ある石の中で「伊達冠石」と出逢ったのです。自然石の深みのある素晴らしさ、そして宮城県産・・・「何か運命的なものを感じる」と長男が申しておりました。主人は生前お墓を作る時は、このような形にして欲しいと病床で一枚のイラストを残しておいてくれました。また元気な頃から、歌人でもある兄に碑文をお願いしてもおりました。納骨の日、皆さんが「あの人らしいお墓ができたネ」と言ってくれました。その言葉がとても嬉しかったです。いつもオシャレで格好良かったあの人の温もりを感じながら、私も歳を重ねて行くことが供養と想い、月命日には花をたむけ、主人を偲ぶ今日この頃です。「うからみな 山路がすき」とは「皆(家族)はあなたのことが大好きです」という意味です。あの人らしいお墓を仕立ててくださいました石材店スタッフの皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。



家族みんなの想いの詰まったお墓

岡山県 岡田様

お墓建立の際のエピソード

元気印の娘が、突然の大病で先に逝きました。 小児科病棟の看護師として働き…家族と老猫一匹を愛し、写真を撮ることが大好きな25歳の娘が、お釈迦様の誕生の日に生涯を閉じました。 まさか、娘が一番に入るために我が家のお墓を作るとは、思ってもいませんでした。お墓には家族の娘への想いをたくさん刻んでもらいました。お墓の正面に、亡くなる5日前に娘が病室で撮っていた桜の花を。我が家の歴史のこれまでと、これからという意味の「あゆみ」と「倶会一處」は息子が心を込めて書きました。 納骨室のフタの裏には、お墓の中の娘からも見えるよう甥っ子たちがメッセージを書きました。ベンチの家族の絵は、甥っ子が病室の娘へ贈ったもの。そして彫刻した娘の愛車は、ナンバープレートまで忠実に彫りました。225は私達夫婦の結婚記念日、サプライズをしてくれた娘の優しい気持ちです。 お墓に寄り添うようにモニュメントも置きました。これは、小さな患者さんや家族の方に明るく優しく接していたい看護師だったと、患者さんのご家族から聞いていたので、遺品の中で見つけた看護学校の戴帽式で書いた決意文と、私の大好きな娘の写真、そして感謝の心を形にしてみました。 親孝行も十分にしてもらいました。本当に仲の良い親子でしたから「…これからも一緒に生き続けていますね」と。そして娘の日記に書いてあった「いつもありがとう」の言葉は自筆で刻んでいます。これは娘からの気持ち。逆に読む側が娘へ「ありがとう」と伝えたい気持ちも込めました。お墓に行ったら必ず文字を目で読んでしまいますね。 家族みんなの想いの詰まったお墓が完成し、2月25日に娘のお骨を納めました。お墓が出来ると、多くの友人が墓地に訪れて娘を思い出してくれます。「また来たくなる」、「お墓のイメージが変わった」とそんな風に言ってもらうと、訪れる友人や家族のために、このお墓にして良かったと実感します。私たちは、最期まで命を輝かせていた娘の親にさせてもらえたことに感謝しながら、これからの人生を歩んでいきたいと思います。



オベリスク型お墓に、「生」の文字

長崎県 藤原様

お墓建立の際のエピソード

まさか40代の私達が息子の墓を建てることになるなんて…。 失礼ながら、お墓についての知識も興味もなく、必要に迫られて、家を建てた時と同じ様に墓地探しから始めました。あるのは悲しみだけでしたが、とある歌のように、息子はお墓にいる訳ではなく、どこか違う世界で、違う形で存在しているのかもしれないと思うことで気持ちが楽になりました。ところでお墓って何だろう?色々考えました。私達にとってお墓は、残された家族や知人が故人を忘れずに考えるためのモニュメントです。だから、私達は目に見える豪華さでなく、残された者の思いを形にすることが大切だと思いました。人の御縁とは不思議で本当にありがたいものです。その思いを一人の人として理解してくださる石材店さんとの出逢いがあり、要望どおりのデザイン、価格のお墓を作ることができました。本当に満足です。 形は意味あって、オベリスク型をアレンジしてもらいました。「生」という文字は、立派に生きた証しと、今も違う形で生きているだろうという思いで、入れてもらいました。世界に1つしかないオリジナルのお墓なので、息子も迷うことなく、時々やって来て手を合わせる私達を笑って見てくれている気がします。私達の思いに付き合ってくださった石材店のみなさま、どうもありがとうございました。



いつ行っても楽しんでお参りができる場所

広島県 花房様

お墓建立の際のエピソード

寿陵の建墓を考え、石材店を訪れました。いろいろ相談するうちに、アートが好きな娘夫婦にデザインを相談しました。娘も含めて私たちのお墓に対する希望は、「いつ行っても楽しんでお参りができる場所」ということです。広い敷地なので、高さはなるべく抑えました。石碑、板石を5色の花崗岩で配色。シンプルな形ながら墓地全体ではハーモニーを奏でて、楽しい雰囲気になりました。墓地の横にテーブルと椅子も用意。皆が集まり語らい合うことができる楽しい空間となったことに満足しています。



外柵に『光』が差し込む地元工芸品の倉敷ガラス

岡山県 光本様

お墓建立の際のエピソード

夫が亡くなり、お墓を建てるにあたって知人の紹介で石材店の方と会いました。 自分の中ではデザイン墓を希望していたので、その旨を石材店の方に伝えデザインしてもらいました。何種類かのデザインの中から気に入ったものを選び、デザインにあった石を何種類ものサンプルの中から選び、私の故人への思い・故人の人柄・お墓への思いを話し、それをもとに石材店の方が提案という形で細かな部分の打ち合わせは進みました。 コーヒーが大好きだった夫のために、石製のペアのマグカップ・優しかった夫への感謝の気持ちを物置石に『Thank You』、マグカップに『ありがとう』と文字彫刻を、大好きな薔薇の花の彫刻、そして我が家の姓の一文字をテーマに何かできないかという希望に対し『光』が差し込むガラスを外柵にはめ込んではどうかと提案してくださいました。そして地元の工芸品の倉敷ガラスを使うことにしました。倉敷ガラスは一つひとつ丁寧に口吹きして作られるガラスで、今回は厚みが4センチ近くあるため職人さんも苦労されたようです。色の配置、渦を巻くような気泡と試作を重ねてもらい、出来上がったガラスは素朴だけど温かみのある作品でとても気に入りました。最期にお墓の棹石に彫る文字は、姓の一部分である『光』を彫刻することにし、私が書いた字を彫ってもらいました。出来上がったお墓は、手前にせり出してくるような拝石で広がりを感じることもでき、私の思い(こだわり)が生かされたお墓になってとても嬉しかったです。

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