【ご注意】
こちらに掲載されているお墓は、ご応募された方が想いを込めて作っておられます。安易に模倣等されないようご配慮をお願い致します。
神奈川県 日高様
九州鹿児島に父母弟のお墓を建てて、数十年経ちましたが、命日や彼岸時など、墓参りしたくても、なかなか思うように行かれませんでした。そこで、妻と「お墓を近くに移したいね…」と、常々話していました。 そんな時に新しい霊園が家の近くに出来たので、早速見学に行きましたら、至る所に古都京都の風情を感じ、迷わず改葬する事を決心しました。 匠の技が光る素晴らしい日本庭園や、涼やかに風が吹き渡る竹林を眺められる場所にお墓を移す事は、自分たちの終の棲家としても満足いたしました。 そして、私がこだわった思いは、子供の頃から雄大な桜島を見て育ちましたので、お墓のどこかに桜島を表して欲しかったのと(あなたのかわり、世界中探したってどこにもいない)という意味の、「唯一無二」という言葉を、墓石に彫刻して欲しいと希望しました。妻は桜の花が大好きなので、その言葉の周りを、満開の桜で飾って欲しいと願いました。 そして数ヶ月後に完成した我が家のお墓は、私達の希望をはるかに超えた素晴らしい出来上がりで、しばらく言葉が出て来ませんでした。 子供の頃に眺めていた桜島は、少し右肩下がりでしたが、香炉の形を桜島に見たて再現してくれたうえ、今現在も活火山なので、お線香をたくと上部に開けた穴からあたかも噴煙のように煙が出る加工など、少し遊び心を盛り込んでくれたのです。「唯一無二」という言葉を囲んでいる、満開の桜を見ている妻の瞳が、うるんでいたように見えたのは気のせいでしょうか。 全体のデザインや彫刻にいたるまで、「世界中探したって絶対どこにも無い!!」我が家の永遠のシンボルのお墓を建てていただき、心よりありがとうございました。
静岡県 山脇様
九動物が大好きだった優しい父が亡くなったのを機に、お墓を考えることになりました。 墓地を選ぶ際、大切にしたことは、花好きの家族なので、春になると桜がキレイに咲く上野公園での父との思い出。そんな家族のお墓だから、明るいデザイン墓にしようと決めていました。石材店さんと打ち合わせをすると、お墓にもいろいろな想いを込めていいんだと思うようになり「家族の情景が思い浮かぶお墓」、「訪れた人が思わず写真を撮りたくなるような素敵なお墓」にしたいと思うようになりました。海外のお墓を参考にしながら、いろいろな想いが溢れて次から次へとアイデアが出てきて、何度も打ち合わせを重ねました。墓石の桜の花の彫刻は自分で描いたデッサンを元に作成してもらいました。その上で、仕上げ作業で、自分達もお墓づくりに参加させてもらいました。彫刻した桜の花びらに、家族みんなで塗り絵のように一筆一筆に想いを込めて、色を入れ桜を咲かせていきました。また、家を新築した時に残ったピンクの石材を桜の花びらの形(やや細長いハート模様)に加工してもらい砂利に埋め込みました。また敷石の部分には幸せの象徴である四葉のクローバーを彫刻、その上にもペイントしました。クローバーも一枚一枚がハート型です。実は墓石の「Love」の文字の中にも、3個のハートが隠し絵のように入っています。おかげさまで色彩鮮やかな、他にはない山脇家らしい世界にひとつだけのお墓になりました。ここならきっと父も寂しくない。ここに来ればいつでも、春のような柔らかな優しい気持ちになれます。
埼玉県 荒川様
昨年、父が帰らぬ人となり、そして今年、悲しみもまだ癒えぬ頃でしたが、そろそろお墓を建てようという話になりました。 寒がりだった父が安心できるよう、そして私たち家族をいつも明るくあたたかく照らしてくれるよう願いをこめて、太陽に向かって咲くひまわりを選びました。そして、このひまわりの花こそが太陽そのものになりました。 父が自宅療養していた頃、ベッドから庭のバラの花をきれいだなあと、いつもながめていました。もしかしたら、花の命のはかなさと自分自身を重ね合わせていたのかもしれません。ひまわりは墓碑に彫刻を施した上に塗料で色鮮やかにペイントしてあります。石材店さんの話ではおよそ20年間は色彩を保つと言われました。色褪せたら塗り直そうと思っています。家族思いでやさしかった父。ぜいたくなことはせず、いつも仕事ひとすじだった父、たくさんの想い出を、そして私たちの父でいてくれて本当にありがとう。また、お墓参りに来てくださった方々、このお墓づくりに力を注いでくださった方々、すべての方々にありがとう。
兵庫県 出口様
親はいつまでも元気でいてくれるものと思っていたけれど、そうはいかないのが、人の世の常らしい。平成19年の桜の咲く頃、癌で母が亡くなり、淋しさや儚さの中に迷い込んでいたら、翌年の5月に、どこまでも優しかった父までも、帰らぬ人となってしまいました。父と母が相次いで亡くなり、二人のことを思わない日はありません。もっと一緒に過ごせる時間があったはずなのに… そして今年の7回忌を機に、そろそろ落ち着く場所にという事で、お墓を検討することに。出来れば「お墓に入る」とか、「お墓参りをする」というような感じにならないもの、もっとほっこりと暖かな感じ、こういうところに居てほしいと思えるような、そんな場所にしたいと思いました。私たちの「家のようなお墓を」の希望に、石材店の方も始めは戸惑いながらも「これは楽しいですねぇ」と、共に試行錯誤してくださいました。 まず最初に希望していた石が、今は入手困難と分かり変更せざるを得ませんでした。いろんなパターンで検討してはやり直してを繰り返して、段ボールで家の模型まで作ってみたりもして。考慮すべきことも多く、度重なる打ち合わせとなりました。 そうして完成した「家のようなお墓」は、嬉しいことに私たちのイメージした期待を裏切らないものに出来上がっていきました。 石材はマホガニーレッドで、暖色の丸みのある家は三角屋根に四角いエントツ。花立てとロウソク立てを門柱に見立てて、線香立ては開閉のできる門扉に…。家族として共に過ごした記憶、懐かしい風景、暖かな時間…それらすべてで、この家の中を満たせてあげたい。私達の記憶の中にはいつだって、父と母の優しい眼差しがあったから、この家で二人でゆったりと機嫌よく過ごしてほしい。 会いに来るかね。可愛いお花と好物を手土産に。聞いてほしいこと、たくさんあるんだから。そんな思いを込めて、私たち「おうち」建てました。
山梨県 石山様
以前、私たちはお墓は要らないと思っていました。骨は山に撒いてくれればいいと思っていました。しかし、現実的には撒骨は難しいことがわかりました。それにお墓は本人だけの問題ではないことも。息子にも「やっぱり石山家の墓は必要」と言われたこともあって、お墓の意味を考え直し、お墓を建てることにしました。 私はバイオリン作りに長年携わってきました。それで艶やかな黒御影の石碑にバイオリンを彫刻しました。バイオリンは、今にもメロディが聞こえてきそうな繊細な線画で、気に入っています。また、妻は桜が好きなこともあって、桜の花びらが舞うという動きのあるデザインを提案してくれました。完成したお墓には、私の両親と祖母の遺骨を分骨し、墓誌にも3名の名前を刻みました。 お墓が完成したことで、私は生前あまりできなかった親孝行ができたことを喜んでいます。また、子どもや孫にも、先祖とのつながりを実感してもらうことができる。お墓は生きている者にこそ必要なものなんだと改めて実感しています。跡継ぎは息子ですが、家族や友人たちも集える場所になればと思っています。だからあえて石碑に家名はいれず、絵にしました。美しい八ヶ岳南麓の風景をも取り込んで、まさに自然景観と一体化したデザインのお墓であると自負しています。
埼玉県 高田様
主人らしい"お墓にしたい"と思ってはいたものの、なかなかイメージが浮かばず、決められないまま石材店さんへ行きました。そこで目にした物…それは、ヨットの形の石でした。 私は"あっ、こんな形のお墓に出来るのかぁ…私は船の形にしたい!"と思い、私の絵を元に石材店さんにデザインをして頂きました。 主人は、4年間の闘病生活を送りこの世を去ってしまいました。人生、これからという時だったのでやり残した事がたくさんありました。その中の1つが"船を買いたい"という夢。病気になる前に、当時小学生だった息子に雑誌を見せては"パパはこの船がほしいんだぁ、今度買おうかなぁ"と言ってた事を思い出しました。そんな主人に私が最後にしてあげられる事は何!?と考えて、船の形のお墓を作ることに決めました。家族が大好きだった主人。奇跡的に一時は退院してきましたが、入退院の繰り返しの中、闘病中にもかかわらず奇跡的に第2子、娘の誕生。そして娘が2ヶ月の時意識不明の寝たきり生活が2年つづき、当時息子中3、娘2歳の12月に、主人は家族、友だちの願いが叶わず、目が覚める事なくあの世に旅立ちました。 どんなに悔しい思いだったか――そんな主人の事を思いながら形になるまでは"思い通りになっているか"不安でしたが、出来上がりを見た私はスゴイの一言でした。 そして最後の最後まで悩んで悩んで決めた事があります。それは、主人の直筆を石に彫ってもらう事。闘病中に、何通も私宛に書いてくれた手紙の最後に必ず書いてくれた言葉。大好き!と。長い付き合いで結婚したのですが、手紙を書いてくれたのは初めての事で、入院中、たくさんの大好きをもらいました。本当に嬉しかった。その"大好き"という文字を主人の直筆で彫ってもらいました。 長い年月1人にしてしまう主人へ、ほしかった船の中で私を待っててほしい。私は、まだまだ逝くわけにはいきません。子供達の成長を見届けてからです。"パパ、私のデザインした船、気に入ってくれたかナ"短い人生でしたが、主人は、自分の為、家族の為に一生懸命に生きてくれました。パパ、たくさんの幸せありがとう。本当に期限のないなか、私の主人への思いを形にして下さってありがとうございました。
静岡県 増田様
父が亡くなるなんて考えた事もありませんでした・・・。 私の記憶にある父は、暇さえあれば友人や息子の私、私の仲間も引き入れて麻雀をしていました。とても楽しそうな父を、今でもはっきり覚えています。 そんな父が亡くなった後、「おれが死んだら散骨するか、麻雀牌の墓にしてくれよ」と冗談半分に言っていた事を思い出しました。その時は「こんなに元気なのに何言ってんだよ」と思っていたのですが、いざお墓を建てる事になった時、麻雀好きな父のあこがれの役『国士無双・13面待ち』の形にしよう!と考えました。 生前、父が愛用していた麻雀牌を元に、細部にまでこだわり再現しました。出来上がったお墓を見たとき、父との思い出がよみがえるとともに「これで約束が果たせた・・・」というような気がして満足することが出来ました。きっと天国でも麻雀卓を囲んで、大好きな麻雀を楽しんでいると思います。
静岡県 杉山様
主人が突如交通事故によって命を奪われて4回目の春を迎えました。無念さ、悲しみ、痛みを思うと、どうしたらその苦しみから救えるか一生懸命の日々でした。お墓づくりにおいてもそうでした。 主人ならどう思うだろうか?自分なりに気持ちや思いを理解して、私達の気持ちやおもいも伝えたい。お互いを思い合う心。二人の子供たちにも仲よく生きていってほしい、という願いも込めて「想」の文字を刻みました。お参りする敷石部分は円形で、円周に桜をイメージした象嵌が施され、豪華な絨毯の趣です。 暖かい色味の万成石と桜の花、そして何よりも眠っている遺骨は、主人がすぐ側にいてくれるようで、いつも私の心を和ませてくれます。お墓参りに来て良かった。来れて良かった。明日からもまた頑張ろう。また来るからねと… お墓参りは私の心の栄養剤です。これからも喜びも悲しみも家族で分け合い生きて行きたいと思います。
北海道 村崎様
家族がのんびりできる場所。 母ひとり、子ひとりで休むことなく働いて私を育ててくれた母が15年前に脳出血で倒れ介護が必要になりました。右半身の麻痺と言語障害が後遺症という形で残り、一人娘の私が母の面倒を見ることになりました。 周りの人たちの力を借りながらも娘と二人で母の介護をし、母のためになればと2級ヘルパーも取得しました。そんな母も昨年他界し、一人娘の私と長男である主人は両家、二家族のお墓も考えてはみましたが、わが家も娘一人しかいません。 今後、娘に負担をかけたくないという思いと、亡き母と主人の両親、私たち夫婦がお墓へ行って語らえるお墓を作りたいと、家名をいれないお墓を建てることに決めました。その話を聞いた娘が、「おばあちゃんに、おつかれさま ひと休みしてくださいと言ってあげたいな。私の中のおばあちゃんはいつも働いてばかりだから…ゆっくりして欲しいな」と文字は娘が心を込めて書いてくれました。お供物がないとかわいそうと主人の提案でおにぎりを飾りました。季節の彩と水を欠かさず飾ってあげたいと、私が花立てを手桶と柄杓にしました。また、葬儀の時に長時間もつ線香があることを知り、線香を長時間焚くことができるように昔懐かしいブタの香取線香をイメージして線香立として置きました。 人が集まり心にも体にもやさしいお墓を作りたかったので、段差も少なく柔らかな曲線をデザインしました。今でも毎週家族で亡母のお墓に行っていますが、暖かくなればお弁当を持ってゆっくりとした時間を楽しみたいです。
北海道 渡部様
享年33才という若さで、最愛の娘は旅立ちました。親として悲しくつらい現実でした。あまりにも、突然の出来事で、しばらくはする事すべてが手につかない日々を送る毎日でした。やがて、親として亡き娘にしてあげられることは、「供養してあげること」という想いに至りました。お墓をまず、建てようと決意し、石材店を訪れました。 こだわったのは、お墓の向きでした。石材店さんに「お墓を斜めに建ててもいいでしょうか?」と尋ねると、「まわりを見ても、そんな建て方のお墓がないもので…」だった。向きにこだわったのは、お墓を斜めに向けると、自宅に向き合う方角となり、お墓と家がひとつに繋がるという想いが私の中にあったからです。墓所を購入する時も、それが実現できそうな場所も求めました。自宅そばの丘の上、ここからは自宅もはっきりと見えます。 墓所の真ん中ではなく。コーナーに設置することで向きの問題は解決しました。お墓の形は、これから咲きほこる花の「つぼみ」状にしました。墓碑の文字は、娘の名前の一字をとって「希」を彫刻し、未来を見守っていく想いを託しました。亡き娘と心がつながるお墓です。
千葉県 林様
個性を表現したお墓をつくりたいとの思いが歳を重ねるごとに強くなり、色々な霊園を見学に行きました。外柵(囲障)と石塔のバランスを何度もイメージしながら関係者に協力を願い、出来上がりました。墓石の前に大きな石製の花立てを配しています。 子供たちや孫たちもお父さん(お爺ちゃん)の発想に驚いています。 未来に託す家族への思いや愛を、このお墓つくりにぶつけてみました。
神奈川県 大金様
欧米のビンテージカーをレストアして販売する会社を経営していた主人とは、山あり谷ありの人世でした。沢山の苦労もありました。しかし、これからやっと夫婦で楽しい人生を送られそうだと思っていた矢先、53歳という若さで突然主人が亡くなりました。主人に対して「感謝」の気持ちと「幸せでした」という気持ちを込めてお墓を作りました。コンセプトは、「シンプルな中に特別を感じる」です。クリスチャンではありませんが、墓碑には英文で「Many thanks」と刻み、花立ては横向きに寝かせた形で、花束を捧げるスタイルです。納骨の際には大勢の方々がおみえになり、主人の人望の厚さを再認識しました。
千葉県 安藤様
長野県に住んでいた両親の介護に通う事、2年以上、父が突然亡くなった後、母も追いかけるように天国にいきました。住まいの近くにお墓を持ちたくて住居地の浦安に墓地を求め、孫にあたる私の息子が墓石のデザインをしました。 親の世代と私たちと子供の世代と次々引き続いていく絆を大切にとの思いが籠ったデザインとなりました。山のように重なり、影のように支えていく、かたちです。施行業者は父の友人で、長野県からやって来てくれました。大勢の人の力を借りて作られた墓石です。