全優石事務局
〒141-0021 東京都品川区上大崎2-7-15
TEL:03-5423-4014 FAX:03-5423-4050
お問い合わせ
全優石事務局
〒141-0021
東京都品川区上大崎2-7-15
TEL:03-5423-4014
FAX:03-5423-4050
お問い合わせ
石材店・霊園検索トップ > 想いを込めたお墓デザインコンテスト

想いを込めたお墓デザインコンテスト

第28回デザインコンテスト受賞のお墓

【ご注意】
こちらに掲載されているお墓は、ご応募された方が想いを込めて作っておられます。安易に模倣等されないようご配慮をお願い致します。





てるてる坊主のお墓

長野県 中村様

お墓建立の際のエピソード

お墓参りを楽しく!天気になぁれ

母の実家のお墓を私が引き継ぐことにしました。諏訪湖を一望するお寺墓地の高台にあって、昔から時々お参りに行っていた馴染みのあるお墓ですが、古くてお参りしづらかったので改修することになりました。そこでせっかく新しい世代が守っていくのだから、かわいくて皆に愛されるお墓がいいなと思いました。家族でいろいろ話したところ、「お参りに来るとき晴れてたほうが気持ちいいよね、てるてる坊主はどうかな」と思い立ちました。

でも、そんなのお墓にできるのかしら、してもいいのかしら、と不安な気持ちで、石屋さんに相談したら、とても乗り気になって、かわいい模型まで作って提案してくれました。大きなてるてるさんと、その足元には小さな小てるたちが7体並びます。7体それぞれがいろいろな表情をしてお出迎えしてくれるので楽しいです。

また雨上がりの虹をイメージし、ドーム型の香炉の前面に七色の虹をタイル状にして貼り付けました。

ちょうど息子と同じくらいの背丈です。息子はこれからどんどん大きくなるだろうけど、「お墓を作った時はこれくらいの背丈だったんだよ」って何年たってもお墓で楽しく会話ができそうです。ぎゅーってハグしたステキなお墓。

家族そろって遊びに来れて幸せな気持ちになれる、特別な場所になりました。

 

後日談。もともとのお墓の石は全部廃棄してしまうのではなく、昔飼っていた犬の石像に作りかえてもらいました。自宅に飾っていつも一緒です。ご先祖の作った墓石もちゃんと受け継げてうれしいです。





長い闘病の末に亡くなった娘さんからの「ありがとう」を刻んだお墓

群馬県 谷内山様

お墓建立の際のエピソード

『ありがとう』の言葉

26歳の娘は突然病に倒れてしまった。医師から『望みは少ない』と言われ、何が何でも生きてほしいと願い続け、丈夫だった娘が何故、なんで、と嘆き悲しみ、意識が戻らないまま1ヶ月になろうとした時、娘が目を開けてくれました。

奇跡が起きました。

しかしその後、高熱に襲われ、人工呼吸器が装着され、寝たきりの療養生活が始まりました。

倒れてから3年、容態も安定した頃、50音での会話、瞼でパソコンを操作し、一文字一文字、視線入力装置の力を借りながら一生懸命打った文字で『母さん、ありがとう。父さん、いつもありがとう。』の娘からの心の声(声なき会話も母に聞こえる娘の声)に涙が溢れ、元気だった頃の娘を思い出しては、どうにもならない心の辛さに胸が締め付けられながらも、娘を守れる親になりたく夢中で介護に頑張ってきました。長い療養生活の中には、娘からの『ありがとう』の声に救われ、支えられ、親からも『毎日頑張ってくれてありがとう』を伝えました。

娘の人生に大波乱を起こした生活も15年2ヶ月、41歳7ヶ月の若さで、永遠の眠りについてしまいました。

医師や多くの看護師の方々から『長い間よく頑張ったね。偉かったよ。』と頭をさすられている娘は、本当に生きているようでした。たくさんの関係者から暖かい言葉をいっぱい頂き、見送られ、多くの友達に愛され、苦しかった闘病生活を生き抜いた、立派な、優しい心を持った自慢の娘です。

葬儀も終え、現実を受け入れられない中、石材屋さんへと足を向け、スタッフからたくさんの優しい言葉で心を癒してもらいました。私達家族は人に恵まれています。心ある石材屋さんに巡り合え、石碑を造ってもらうことを決め、家族で足を運ぶこと数回。相談の中、娘からの温かい言葉『ありがとう』を父親の文字で、母からは『ふたたび幸せが訪れる』ように、願いを込めスズランを彫ってもらいました。ラッセンのファンだった娘には、大好きだった白いイルカ2頭が戯れる姿を造ってもらいました。

その2頭のイルカの尾が重なり合い、そのスキ間から❤ハートが偶然に現れ、娘からのメッセージ『ありがとう』と呼びかけてくれていると感激しております。

一生懸命造って頂いた石材屋さんに、家族より心を込めて『ありがとう』を送ります。



蓮の花がさわやかな風に揺れているお墓

山形県 石原様

お墓建立の際のエピソード

この度、父の他界を機会にお墓を建立いたしました。

私の自宅にはほんの僅かですが、水性植物の姫蓮の田んぼがあり7月の下旬には花が咲き、それは見事なものです。実はこの蓮は何代か前のおばあちゃんが我が家に嫁に来るとき、親から株を分けてもらい一緒に嫁いできたものらしいのです。今は私が肥料などをやり世話をしており、我が家のシンボルみたいなものです。

仏教では、蓮は泥の中から出てきて美しい花を咲かせるところから汚れのない花とされています。「蓮華の五徳」という教えがある通り蓮の花には仏教に纏わる教えが存在します。

さて、お墓の建立に際し石材店から勧められたのが写真の洋墓竿でした。7月の下旬まさに極暑の中、蓮の花と葉が「さわやかにそよぐ風」に揺れている、まさにその光景が思い浮かぶような優しい感じに作りました。

お墓の竿というものはあの世から見て、この世を映し出すスクリーンのようなものだと思います。

子供(若者)たちからも評判は上々で「またお墓詣りに行きたくなるね」と言われ大変満足しております。黒を基調としたもので高価で素晴らしい墓石はたくさんありますが、やはり後世にいる我々がまた墓参りに行きたくなるような、「心ときめくような、それでいて心安らぐような」お墓であるべきだと私は考えます。

いつまでも悲しんでいても先祖様に叱られます。

予算も限られた中での大仕事、私と妻ともども大変満足しております。





父の故郷の風景スケッチを刻んだお墓

宮城県 佐藤様

お墓建立の際のエピソード

父が遺した日記帳には、風景や季節の花々などが、たくさんスケッチされていました。その表紙には、父の故郷の風景と、「ある日どこかで」の言葉が刻まれます。

絵を描くことが好きで、達筆だった父。

当時高校生だった私に、1冊のまっさらな白い日記帳を見せ、「これから、偶然通った道の景色や見かけた物を自由に描くんだ。」と話してくれたことを思い出しました。

仕事の途中車を止め、思いのまま筆を走らせる父の姿が浮かんできます。

晩年、病のために思うように字や絵が描けなくなってしまった父ですが、これからは、どこへでも自由に出かけて、思いのまま、あの頃と同じように筆を走らせてもらいたい…そんな思いでこの表紙を墓石に刻むことにしました。

折しも納骨の日は619日の「父の日」、ヒヨコは「初生ひな鑑別士」だった父ヘ、娘たちからの父の日のプレゼントです。お墓を訪れた方が、在りし日の父の姿を思い出して、微笑んで頂けたらと願っています。





威風堂々、伊達冠石の自然石のお墓

群馬県 原様

お墓建立の際のエピソード

私の小さい頃の記憶が正しければ、祖父の墓は、大きな木の下に石が一つ置いてあるだけの質素なものだった。その後、昭和55年に、今の墓地に移設したが、墓を作るきっかけも無く、コンクリート製の焼香台のみの、これまた非常に質素な墓なのであった。

祖父は、結婚してすぐ召集され、遥か遠い南の島で戦死した。結婚生活は、わずか数ヶ月。祖父は、31歳であった。

その後、祖母は、祖父の忘れ形見の母を1人で育てた。祖母は、祖父の事を語らず、母は、知るすべはなかったようだ。祖父を知ることができるのは、数枚の写真だけであった。

祖母は、103歳の長寿を全うした。祖父と祖母が別れ離れになってから77年。時代は昭和から令和になっていた。長い月日が経ち、違う世界で祖父母の新たな生活が始まる。

そんな辛い歴史のある祖父母の新居となる墓を建てる事になった。どんな墓にするか?真っ先に頭に浮かんだのが「大きな木の下の石」。昔ながらの墓、私の記憶の中にある墓であった。77年ぶりの新婚生活にふさわしいかどうか分らないが、このイメージを伝えた。

大きな木では無いが、墓地に植えてあったツゲの木をそのままにした。大きな石は、「伊達冠石」に決まった。

伊達冠石の原石が宮城県の採掘場から届いた初対面の日。イメージ通りの大きな丸みを帯びた石。何とも言えない存在感が漂っていた。当初は、伊達冠石の一部を磨く事も検討していたが、この石を見た父母と私は、このままの姿で置くことにしたのだった。

祖父母、将来的には、父母、そして私と、この墓に住むわけだが、不変的な墓ではなく、時代と共に自然に変化していく墓、それが我が家の墓である。



父が書いてくれた表札のお墓

埼玉県 菊地様

お墓建立の際のエピソード

74歳で亡くなった夫は、昭和221月産まれです。その一月前に実父が戦病死で亡くなり、実父のいとこが母親と再婚し夫を育ててくれました。

私たちが新婚で団地住まいをしていた時、両親が訪ねてくれて、父が「表札が無いから書いてやる」と白い紙に夫の姓名を書いてくれました。それから3回引っ越しましたが、夫はそれを大切にしまいコピーを玄関前に貼り付けておりました。

お墓にはその字を元に彫っていただきました。山も彫っていただきました。夫の故郷の山で、高校の学校行事で、登ったそうです。私はまだ登ったことがないと父に話したことがありました。

父は80歳の年祝いの場所を栗駒山に決めてくれて、頂上まで夫のいとこに先導されて登ることができました。

夜は宴会で歌や踊りまで出て楽しく過ごすことができました。

私の姉は墓を見てお父さんの字?と気づき、夫の弟は栗駒?とすぐわかってくれました。



神輿を彫刻したお墓

神奈川県 吉田様

お墓建立の際のエピソード

これから少しばかり贅沢な生活を送ろうと思っていた矢先に妻が亡くなり、最後に妻にしてあげられるお墓に、妻が大好きだった「神輿」を彫刻して頂きました。「影彫り」という技法で、専用のノミを打つ際に強弱をつけることで、写真のようなリアルな陰影の仕上がりです。

明るく面倒見が良く、誰からも慕われる妻の為に多くの人達がお参り出来る、とても素敵な所に立派なお墓が出来た事、感謝しています。







想いでの横浜の花火大会を彫刻したお墓

神奈川県 新谷様

お墓建立の際のエピソード

明るい感じにしたく、四季の花を彫刻しステンドグラスは必ずつけたいと思い、

太陽の光が入りキラキラとして故人も喜ぶと思いました。

墓誌板にステンドグラスと「笑いなさい」の言葉を刻みました。お墓参りに来て下さった方に、笑顔になってほしくて彫刻しました。

また石塔の両脇には故人との思い出がいっぱいのみなとみらいの花火大会を影彫りしてもらいパッと明るく彩りました。

 

 





胡蝶蘭と感謝が刻まれたお墓

山梨県 田中様

お墓建立の際のエピソード

お墓は訪ねてくる人への手紙

L型の石が小さい黒い石を抱きかかえるような芸術的なデザインの墓石です。黒い石にはところどころブルーの斑が混じり、光にあたってキラキラと輝いています。その漆黒の鏡のようなキャンバスに彫刻されているのは胡蝶蘭。たおやかでやさしい曲線に3つの花弁が凛とした姿で描かれています。そして「感謝」の文字。足元に目をやると敷石にさりげく「来てくれてありがとう」のメッセージが刻まれています。

 





マッターホルンとステンドグラスのお墓

岐阜県 酒井様

お墓建立の際のエピソード

2020年の年末。「桜が咲く頃まではもたないでしょう」と医師から突然の余命宣告を受け、2021年の年明けに桜を見る事なく母はこの世を去りました。

墓石のデザインを考える中で、家族4人で最後に会話した時、今まで旅行してきた中で一番印象に残っている所はスイスだと言っていた事を思い出しました。母が旅先で撮影した「マッターホルン」の写真をもとに何度も打合せを行い、忠実に再現いただきました。

足元には母がいつでも満開の桜が見れる様、左右から桜の枝を伸ばし、枝にはメジロをとまらせました。

周りは丸く柔らかな印象にし、濃緑の墓石には母が大好きな真っ赤な薔薇をかたどったステンドグラスと雪の積もったマッターホルンが浮かびます。

まるで母が墓参りに来て下さった方々に満開の桜の咲く時期の様に暖かく迎えてくれている様です。





桜の季節に亡くなったご主人を偲ぶお墓

長崎県 中村様

お墓建立の際のエピソード

病気で亡くなった主人。その頃は桜の季節で、主人を乗せた車内で「桜の花がきれいよ。」と声をかけながら見たのを覚えています。主人が亡くなって、お墓の建替えを計画したものの、いろんな諸事情で遅れてしまいました。その後、義父、義母と相次いで亡くなり、納骨室には骨壺がいっぱいで、次に私に突然なことが起きればそのスペースもありませんでした。思い切って建替えを決意しました。石材店を訪ね、デザインやどんな石にするかを事細かく相談しました。「主人と見た桜の花が忘れられない。」と伝えると、竿石にデザインすることを提案して頂きました。たくさんの桜を散りばめたかったけれど、散るのはあまり良くないとのことで、赤い石にデザインすることにしました。お墓参りのたびに、あの時の桜を思い出すことが出来ます。またお参りに来た人たちに和んでもらいたいと思い、主人(和平)と私の名前(和美)の共通の漢字一文字から「和」をとり、デザインしました。息子たちに安心してもらえる思い通りのお墓が出来ました。石材店の方々には唯々感謝しかありません。

 



ピクニック気分のガーデニングお墓

熊本県 菊池様

お墓建立の際のエピソード

「お墓参りが楽しくなるようなお墓」。若い時からガーデニングが好きで、お墓は自然風のガーデニング墓にしたいと思っていました。お参りに来てくれた人が丸く囲んで座り、ピクニック気分で弁当でも食べられるように中央部を円形の形にし、外柵の高さは座りやすいように45センチにしてもらいました。

外柵部は新婚時に勤務していた沖縄で見かけ、大好きだった琉球石灰岩大理石にしました。墓石、墓誌の石種は自然風のガーデニング墓に似合う自然野面石で香川県産の庵治石としました。墓石には今の自分の心境を自書し刻んでもらいました。

沢山の

優しさと

大きな幸せを

ありがとう

感謝をこめて

また,夫婦で一緒に両家の先祖のお参りが出来るように、両家のお墓から分骨していただき、新しい墓に納骨しました。墓建立も夫婦連名としました。とてもかわいらしい素敵なお墓が出来て喜んでいます。

過去のコンテスト

仏事を知る
お墓を知る
お墓を買う
お墓を守る
お墓の引っ越し・墓じまい
全優石とは

お墓の引越し・ 墓じまい

トップへ