有名人のお墓

モーパッサンの墓 1850-1893・メイン画像

逃げても逃げても追いかけてくる死の恐怖。だが、モーパッサンの心に棲みついた死神は、彼を自由にはしてくれなかった。病に冒された晩年の旅から旅への生活は異常とも思えるめまぐるしさ…。ある友人に、「つきまとって離れない死の恐怖から逃げるためだ」と語ってはいる。あるいは、弟を死に至らしめ、自らも自覚しはじめていた脳神経の病、それから発現する「狂気」を恐れていたものか。
小説家ギ・ド・モーパッサンは1850年、ノルマンディーの漁港ディエプに近いミロメニルで生まれた。父は官吏。母は資産家の娘だったが、ギが10歳の頃、両親は離別。母とギ、弟のエルヴェの3人はエトルタの別荘に移り住んだ。母の兄の親友で、すでに作家として大成していたフローベル。彼がモーパッサンの文学上の師であったことは知られているが、私生活の面でも、モーパッサンを叱り励ましたりする愛情細やかな父親代りの存在だった。
モーパッサンの作家としての出発は1880年、『メゾンの夕べ』を刊行したモーパッサンはこの中に『脂肪の塊』を発表し、他の作品を圧倒する評判を得た。フローベルは傑作だと称えたが、愛弟子のデビューを見とって間もなく他界した。33歳の時の長編第1作『女の一生』は世界的な評判を呼び、8ヶ月で二万五千部を売るベストセラーとなった。彼が頻繁に旅に出るようになったのはその少し前からである。彼が自殺を図ったのは、1892年42歳の時。精神病院に入院させられ、翌年まで18カ月にわたる断末魔の末、その病院で息を引きとった。デビューして13年、自らもいったような「流星」のごとき人生。 モーパッサンの晩年の、何かから逃げ出すような漂泊は、死という人間に定められた条件への彼流の抵抗だったのか。それは裏返せば、人生への強烈な愛着の証しといえる。友人ゾラは、「モーパッサンの作品は人生に捧げられた愛の歌である」と弔辞で述べている。

モーパッサンの墓 1850-1893・地図

モーパッサンの墓は、墓地内のエミール・リチャードでわけられた東部分の、26区にある。といってもこの区内には200ぐらいの墓があるだろうか。その真ん中あたりに位置する。墓碑にたどりつくのはむずかしいが、特徴のあるかたちをしているので、上を向いて歩くと見つかりやすいだろう。またはガイドブック片手の人と、一緒に探索しながら散歩するのもよい。1826年にできたこの墓地にはほかにサルトル(哲学者)とボーヴォワール(作家)、ローランス(彫刻家)、サン=サーンス(作曲家)らの墓がある。

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