有名人のお墓

クリムトの墓 1862-1918・メイン画像

世紀末芸術の代表格、グスタフ・クリムト。恋多き人生、執拗なまでの女性へのこだわりは、彼の絵に語られている。
1862年、金細工師の長男として生まれた彼は、1876年ウィーンの工芸学校に入学。学校を終えると、弟エルンストや友人と芸術家カンパニーを設立する。ブルク劇場天井画の仕事では金十字功労賞を受けている。このような彼の作風が先鋭的なものとなっていくのは1892年最愛の父と弟を相次いで失った頃からである。1897年、進歩的な芸術家の集まりである「分離派」を設立。金箔などを使って「性」をやわらかく表現し、あくまでもエロティックに女性を描いた彼の作品は、常にセンセーショナルであった。
彼のもとには上流婦人たちも多く訪れたが、一方でアトリエに常に置いていた数十人のモデルたちの多くは娼婦であった。このような彼の二面性は、女性との関係にも見られる。
彼には生涯尊敬し合った恋人がいる。エミーリエ・フレーゲ。夭折した弟の妻の妹である。彼女は、クリムトの日常的な雑事を引き受け、毎年彼とともに避暑を楽しみ、彼の創作活動を妨げないように気を配った。彼は、エミーリエとの安定した恋愛に支えられ、1908年、『接吻』を発表している。夫婦以上の固い結びつきは、クリムトの創作に大きな自信をもたらしたといえる。1902年に描いた『エミーリエの肖像』は彼の代表作のひとつである。
そしてもうひとり、クリムトが女神のようにあこがれ続けた女性がいる。アルマ・シントラー。彼はアルマに求婚するが、両親は猛烈に反対する。結局、アルマは23歳の時マーラーと結婚、マーラーの死後は、芸術家たちの恋の相手となり、彼らの才能を触発し続けた。彼女の魔性は、クリムトの描くエロティックで男を狂わせる運命の女にも重なってくる。
ふたりの女性への思いを原動力とするかのように、意欲的に作品を描いたクリムトは1918年、脳卒中で倒れる。死の床からエミーリエの名を呼び続け、2月6日死去。ヒーツィングに眠る。

クリムトの墓 1862-1918・地図

地下鉄U4のヒーツィング駅で下り、歩いて約5分。緑の中に正方形の墓石が建っている。これはヨーゼフ・ホフマンのデザインによるもので、世紀末芸術の一つとして見ることができよう。ホフマンは、コーロ・モーザーと「ウィーン工房」を設立した人物で、クリムトとの関係はたいへん深い。クリムトが「ベートーヴェン・フリーズ」を発表した分離派の第14回展では、会場の設計を手掛けているのだ。付け加えると、ホフマンの墓は中央墓地の芸術家たちが祀られている一角にある。

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