有名人のお墓

ボードレールの墓 1821-1867・メイン画像

「千年生きたのよりもなお多い思い出を私はもつ」C・B。かつて地上に存在した、シャルル・ボードレールという名の男。その憂鬱は永久の住処に眠る。
シャルル=ピエール・ボードレール、1821年4月9日パリ、オートフイユ通りに生まれる。画家だった父ジョゼフ=フランソワ、母カロリーヌ・デュファイ。シャルルが6歳の時父が死に、母は翌年再婚した。そんな母を、彼は愛しつつ憎んだ。 18歳の時、放校処分となった彼は、詩にのめりこみ、ダンディーを気どり懶惰な生活をおくりはじめる。1842年、成人に達したボードレールは実父の遺産を受け継いだ。なんの経済的患いもなく、彼は安逸を貪る。“黒いヴィーナス”ジャンヌ・デュヴァルとの同棲。彼の母は強硬策を講じる。1844年訴えを起こし息子に法定後見人をつけたのである。金銭的な安楽は失われた。詩人はやむなく、生活のたつきとして評論を選んだ。
内面に沈潜する生活。だが芸術的に豊かな日々。ポーの翻訳が進められる。数数の評論。55年『悪の華』のタイトルで18篇の詩が雑誌に発表される。57年6月25日、詩集『悪の華』刊行。ただちにその“不道徳性”が告発され、裁判に付される。罰金300フラン、詩6篇の削除の判決が下った。60年に、『悪の華』第2版と『人工楽園』を脱稿。第2版は翌年出版された。当時ボードレールは名声の絶頂にあったが、60年暮れ、自殺を企てている。返済不能なほどの借金と急激な健康の悪化、創造の淵に立つ恐怖……。64年、彼はベルギーに向けて旅立つ。66年、探訪先の教会で昏倒。ブリュッセルの病院に運ばれる。同年7月、パリ、ドーム街のデュヴァル博士経営の療養所に移された。
1867年夏、急速に病は進行し、8月31日の夜、凄まじい苦悶の末ボードレールは、“地獄”へと旅立っていった。愛し憎んだ母に看とられて。

ボードレールの墓 1821-1867・地図

パリ14区、メトロのRaspailラスパイユ駅から、モンパルナス・タワーに向かって200メートルほど歩いていくと、左側に入口がある。ここでも地図を見ながら歩こう。この墓地を二分するRue Emile Richardエミール・リチャード通りのマロニエの並木道は、とても美しい。のんびり散歩するのにもよいだろう。ボードレールの墓は、正面入口よりひとつめの大きな十字路を右に曲がって、その通りの奥の左側、少しくぼんだところにある。人目につかないようにひっそりと佇む。大理石でできており、墓石には文字が刻まれている。

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