有名人のお墓

シーレの墓 1890-1918・メイン画像

鏡があれば、その前に必ず立ち止まり、映し出された自分を入念に見入る男。カメラに向かって挑むようなポーズをとる男。エゴン・シーレは、28年という短い生涯の間に100枚以上の自画像を残している。
1890年、エゴン・シーレは父が駅の管理者という中流家庭に生まれる。15歳の時に最愛の父を亡くした彼は、16歳でウィーンのアカデミーに入学し、本格的に絵の勉強を始める。この都市で彼は最も影響を受けることになるクリムトと出会っている。
「すべてのものは生き、そして死ぬ」と記しているシーレのことばどおり、彼は作品で“生”と隣合せの“死”を赤裸々に描いている。彼の描いた数多くの自画像も同様で、自分を題材として人間という生き物の奥底にひそむものを浮き彫りにしようと試みた画家であった。
シーレは自画像同様に、多くの女性も描いている。モデルにヴァリー・ノイツェという女性がいる。シーレの絵に誘惑的で官能的な女性として描かれた。ふたりはクルマウという田舎で同棲するがスキャンダルとなり、やがてひとつの事件にまで発展していく。シーレが近隣の少女たちを家に連れて来て、彼女たちの裸体を描いたことで、1912年、警察に連行され、「子どもに猥褻な絵を見せた罪」で24日間拘留されてしまう。この間ヴァリーは毎日面会に訪れている。 事件で深く傷ついたもののウィーンに戻り、シーレは次々と意欲的な作品を発表している。向かいの家に住む美しい姉妹を見初めたのもこの頃である。結婚に対するあこがれが膨らんでいたシーレは、その相手として、ヴァリーではなくきちんとした家庭に育った女性を選んだ。姉妹のうちどちらでも良かったが、彼はプロポーズを受けてくれた姉エディットと結婚を決める。
結婚によって情緒的安定を得たシーレは、上品で清楚なエディットを描いている。結婚して3年の後、妻は妊娠し、まさに幸福の絶頂という時、おりから猛威をふるっていたスペイン風邪にかかり、あっけなく逝ってしまう。妻の死の3日後、1918年10月13日、同じ病でこと切れる。彼が死亡した時の写真が今も残っている。あくまで自分にこだわり続けた画家は、自ら描くことの不可能な最後の自画像を写真に託したのだった。

シーレの墓 1890-1918・地図

地下鉄U4のオーベル・ザンクト・ファイト駅で下り、歩いて約5分。オーベル・ザンクト・フリードホフのエゴン・シーレの墓石は、シーレの友人らがハンガリー人の彫刻家、ベンジャミン・フェレンツィーに制作を依頼して、1928年につくられたものである。長方形の石には、男女の裸体像が浮き彫りにされていて、その下の台座には、シーレと妻のエディットの名が記されている。13区のエゴン・シーレ記念館や、南駅の国立オーストリア美術館(ベルヴェデー宮殿上宮)などでシーレの作品にふれることができる。

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