有名人のお墓

ベートーヴェンの墓 1770-1827・メイン画像

ベートーヴェンの家は祖父の代から音楽家で、宮廷音楽師である父に音楽の才能を見いだされ、7歳の時、聴衆の前でピアノを演奏し名を広めていく。小学校を退学し、宮廷オルガニスト・ネーフェからピアノや作曲法を学び、わずか12歳で宮廷オルガニスト助手になった。
その後ハイドンとサリエリに師事し、1795年にウィーン楽壇にデビュー。彼の前途は明るいものに見えたが、その12ヶ月後には風邪をこじらせ、聴力障害を起こす。さまざまな治療を試みるが、病は進行するばかりであった。
おしよせる病魔との闘いに疲れ1802年には、遺書まで書いたが、音楽に対する情熱まで消すことはできず、翌年には『クロイツェル=ソナタ』を1808年には『交響曲第五番(運命)』、『交響曲第六番(田園)』を初演。後に印刷まちがいのまま有名になった、あの『エリーゼのために』である『テレーゼのために』を作曲。
私生活ではさまざまな困難を背負っていたが、1824年、彼の作曲家生活の集大成ともいうべき『交響曲第九番』をかきあげている。
1827年病をこじらせ昏睡状態に陥っていたが、死の直前雷鳴がとどろくと、かっと目を見ひらき、右手をふりかざして、そのまま息を引きとる。56歳であった。
家庭を持つことも夢見ていたが、生涯独身を通す。
不屈の精神を持った、この天才ヴォートーヴェンの葬儀には二万人が集まり、ウェーリング墓地に埋葬される。1888年ウィーン中央墓地に移され、今も訪れる人が後を断たない。

ベートーヴェンの墓 1770-1827・地図

中央墓地の楽聖たちが眠る第32区A、そのほぼ中央に位置している。ベートーヴェンがこの世を去った3日後、3月29日葬儀がとりおこなわれた。その後ウェーリング墓地に埋葬されたが、1888年の夏、このウィーンの中央墓地に移された。墓碑は大理石の白のすっきりとしたデザインで、まわりのものとは異質な感じを受ける。陽が当たると、緑のなかで燦然と輝いている。ウィーン市内だけでも何度か住居を変えたベートーヴェンは、その足跡を今も残している。

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