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有名人のお墓

ユトリロの墓 1883ー1955(サン・ヴァンサン墓地)パリ、フランス

母を慕いながら、彼はいつも孤独だった。アルコールを離せず、騒ぎを起こすことも度々あった。だが、モンマルトルは彼に絵筆を握らせた。
古き良きパリを詩情豊かに描いた画家、ユトリロ。彼に冠される形容句はもうひとつ、酔いどれ画家。その生涯は、彼の母シュザンヌの存在を抜きにしては何も語れない。
1880年代のモンマルトル、そこで画家たちのモデルをしながらボヘミアン的生活を送っていたシュザンヌ・ヴァラドンは、18歳で父親が誰かも分からない男の子を出産する。
シュザンヌは、モデルをする一方、女流画家としての生活も始める。彼女はまた、恋多き女で、孤独な少年は、小学校に通う頃からワインを飲み始め、とうとうアル中専門の病院に入院させられる。少年の鬱屈した心を見てとった医師は、母親に絵を描かせることを勧めると、少年は強い興味をもってデッサンに取りくむようになる。
1903年移り住んだモンマニー、1年余りで150点の油絵とデッサンを描いた。「モンマニー時代」よく描き込まれた風景画は、まだ全体に黒い色調で重苦しい。
絵を始めても、ユトリロの酒びたりは相変わらずで、母シュザンヌがユトリロの親友に恋をし、同棲を始めた頃、診療所への入院が3回。しかし、そんな時期に、画家として最も充実した「白の時代」(1910~14年)が始まる。「コタン小径」「ラパン・アジル」といった傑作はこの時期に生まれた。
1938年、シュザンヌが波乱の人生を終えたとき、ユトリロは悲嘆のあまり葬儀に出席出来なかった。晩年のユトリロは、あり余る世俗的名誉に浴したが、私生活は監視人付きの惨めなものだった。1955年、71歳のユトリロは静養先のホテルで急逝。棺はサン・ヴァンサン墓地に葬られた。墓地は、彼の作品によく描かれた「ラパン・アジル」の向い側にある。

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