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有名人のお墓

シューベルトの墓 1797-1828

18世紀末、この世に生を受けたフランツ・シューベルトは31年の短い生涯の間に10曲のシンフォニー、7曲の序曲、数曲のオペラ、15曲の弦楽四重奏曲、7曲のミサ曲、22曲のピアノソナタ、そして700もの歌曲を残している。
シューベルトは1797年1月31日オーストリアのウィーン郊外・リヒテンタールに生まれた。彼は15人兄弟の12番目である。学校教師の父はシューベルトの並はずれた音楽の才能に早くから気付き、8歳のとき彼を教区教会のオルガン奏者に預けた。11歳になるとウィーン宮廷の児童合唱隊に入り、コンヴィクト(帝室王立寄宿制学校)での生活を送り、当時の宮廷楽長サリエリに師事する。およそ5年の後、彼はコンヴィクトを離れ、17歳で父親の学校の助手として勤務したが、3年間務めた後、学校を去る。その後は、音楽の個人教授などで苦境を切り抜けながら作曲活動を続けていたが、生活は困窮していた。初めて出版された『魔王』は、彼の友人が印刷代を引き受けるということでようやく実現している。
シューベルトは快活で交友関係は広かったが、音楽の才能ほどには外見に恵まれず、背は低く、太っていて、髪は縮れていた。近視が強く、寝るときも眼鏡をとり忘れることがしばしばあったが、眼はいつもキラキラ輝いていた。作曲するときはその眼がさらに燃えるような激しさを持ち、何の苦労もなく、彼自身「まるで神のように作曲している」と友人への手紙に記している。
精力的に仕事をしていた彼が最初に倒れたのは26歳のときだった。性病を患い、しばしば身体と精神状態の不調に見舞われた。しかし、創作意欲は依然衰えることはなく、次々と傑作を生み続けていく。1826年、宮廷副楽長やケルントナートーア歌劇場指揮者のポストを得ようとしたが、すべて失敗。その年の夏、彼の病気が再発した。すると不思議なことに衰えていた霊感的な創造力の高まりも生じてきたのだ。とくに亡くなった年の1828年には三つのピアノソナタや交響曲ハ長調の他に、『冬の旅』を作曲している。この歌曲集を完成した後に、彼は非常に衰弱するが、気分は高揚していた。
秋になって、シューベルトは本格的に病の床につき、11月19日ウィーンの兄の家で息をひきとる。亡骸はウェーリングの墓地、彼が尊敬してやまなかったベートーヴェンの墓からほど近い所に収められ、後に中央墓地に移されている。

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