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有名人のお墓

シュトラウスⅡの墓 1825-1899

卓上ピアノの前に立ち、何やら曲らしいものを弾いている男の子はまだ、6歳。母親のアンナが五線譜をわたすと、たどたどしいながらも、その子はワルツを書きとめていた。アンナはその曲に<最初のワルツ>と題名を書き入れる。ヨハン・シュトラウス2世の処女作である。
彼は1825年、この世に生を受けた時から父ヨハン・シュトラウス1世のワルツを聞いて育った。母アンナは息子の才能を見抜き、彼に音楽の教育を受けさせようとした。が、音楽界の非情さを知る父親は同じような苦労を息子にさせまいと猛反対。ふたりの間にはいつしか溝ができ、やがて父はお針子の愛人をつくり家出、ヨハンたちへの送金もとだえてしまった。ヨハンは16歳で一家の家計を支えるために、音楽のレッスン代などで収入を得ることになる。このような状況にあっても母アンナの情熱で、息子に3人の高名な音楽家から格安のレッスン料で教育を受けさせてもらっていた。親子一体の努力のかいあって、ヨハンは19歳で自分の楽団を作り、1845年には、デビューコンサートを開くまでになる。父ヨハンを見習い、ヴァイオリン片手に演奏しながら指揮をするというスタイルをとり、のちに<シルクハットをかぶった猫>と呼ばれるほどしなやかな姿であった。父の『ローレライ・ラインのひびき』をすばらしく演奏して、人々を感動の渦に巻き込んだ。このコンサートをきっかけに、父とも和解し、ふたりは音楽界の人気を二分するようになった。が、この関係も1849年、父の死で終わる。
ヨハンはステージに立つようになってから20年間に300曲以上のワルツを書いているが、多くは父の作品が基本となっている。<ワルツの父>を持つ息子は、さまざまな軋轢を超え、<ワルツの王>にまで登りつめていく。ウィーンのスターとなったシュトラウスが選んだ結婚相手のヘンリエッタは、10歳年上、出会った時には人妻であった。社交術にすぐれた夫人は、夫の仕事の手助けをよくした。あの名曲『美しく青きドナウ』は、ヘンリエッタとの充実した暮らしから生まれている。プロシア軍とイタリア軍にせめられ、敗北をこうむったオーストリアで、ドナウ川をたたえたこの曲は、人々の心の傷をいやすのに大きく貢献した。この曲を持って、彼は新築のパリ・オペラ座やイギリスでの公演で大成功をおさめる。が、運命とは皮肉なもの。彼もまた父と同じように若い愛人のもとにいりびたるようになる。ヘンリエッタは悲しみを抱いたまま死を迎える。彼女の死後、すぐに若い歌手志望の女性と再婚するが、さんざん苦しめられたあげく、捨てられてしまう。シュトラウスは晩年3人目の妻アデーレと結婚し、ようやく安定した生活を得る。彼はその後喜歌劇の好評作を書きつづけていったが、1899年、仕事中にひどい悪寒をおぼえ、6月3日、妻に見守られながら息を引き取る。人々はウィーンの生んだ大音楽家の死を悲しみ、葬儀はウィーン全市をあげておこなわれた。<ワルツの王>のなきがらは、ウィーン中央墓地に葬られ、彼のしなやかな演奏姿は今もウィーンの市民公園で銅像となって見られる。

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