霊園より | 本性寺は寛文10年(1670)に日泳上人により創建された日蓮宗のお寺です。
堂々とした山門の正面に毘沙門堂があり、その右手に本堂がございます。
この毘沙門堂は山門とともに戦災の時にも焼けずに残った貴重な建物で、
建築年代は元禄頃(1688~1704)かと言われていますが不詳です。
この中に祀られている毘沙門天像は、元々は江戸城本丸にあったものであり、
北を向いていることから「北向き毘沙門天」とも呼ばれています。
これは北方の仙台藩を当時収めていた伊達氏が江戸幕府に対して反旗を翻さないよう、
徳川家康が北向きに安置して祈願したものであるという伝説が残されています。
現在では、開運招服の福の四谷の毘沙門様として信仰を集めています。
また本性寺の墓所には、「群書類従」「続群書類従」の編纂者として有名な塙保己一の師にあたる、
国学者の萩原宗固が眠るお墓があります。
萩原宗固は塙保己一以外にも、
寛政の改革を断行した白河藩主の松平定信と言った数多くの著名な人物を養成したことで知られています。 |