2020/02/22 【石文化対談】
吉田:確かに、お墓っていうのは、私たちの生活の歴史を語り合う場所であり、あるいは泣ける場所であったり、反省する場所であったりするわけです。全国の中でもお墓参りが一番多い県は鹿児島県なんですね。一週間に2回ぐらいいくんですよ。
加地:鹿児島県のお墓の花はきれいですね。枯れた花なんかありませんよ。
吉田:それで、あそこは子どもの校内暴力が少ないんですよ。
加地:あるある。それ絶対あります。
吉田:おばちゃんがお墓へつれていく、おとうさんがつれていって、お前こういうことしちゃーいけないよとかね、お前のおじいちゃんこうだったよとか、情操教育というか、それにはお墓が一番なんですね。
加地:それに仏壇ね。
吉田:そうそう。それしかないでしょう。
加地:ありません。私は戦後抜けてしまったのは仏壇とお墓だとおもっています。いちばん大事なのはお墓を建てるときに、お墓を建てるということは最後の結論なんであって、その途中に家族の団結いうことをせにゃーいかんです。それを全優石に言わなにゃーいかん。家族の団結なくしてお墓建ててもしょうがないぞ、そんなもの。お墓建てるなら、家族同士が頑張って1つになりなさいね、ということをキチッと、それこそコンセンサスをつくってやらなければ、お墓になりません。
すぐ値段のお話ではだめなんですよ。お墓づくりは単なる商売じゃ続かないですよ。全優石に入っていられる石材業者さんたちが生きていく道は、大事なのはお墓じゃないだといわにゃーいかん、お墓屋さん自身が。家族が、本気でここを維持していくんですか、ということをちゃんと心得てもらうように話できたら、必ず目が開く。そこ、ああこれは大事なことなんだとわかるわけですよ。
吉田:だからこそですね、石屋さんお願いします。はい、わかりましたとこれまで通りのお墓を作るのじゃなくて、みんなの思い出を形にしましょうという提案を石屋さんから提案するように呼びかけているんです。
加地:お墓というのは単に結論にすぎないんです。その前が大事だと主張しいるんですよ。
吉田:前と後ですね。お墓までいかないとしょうがないですからね。
加地:そうそう。お墓の形はどうでもいいの。ちゃんとお墓参りするということを教えにゃーいかん。お参りすることも知らん。お正月にちゃんと花供えてるところ少ないですよ。3分の1くらいいかな、4分の1くらいしか供えていない。
吉田:お正月お参りしちゃー縁起が悪いなんて、なにかにあるんですかね?
加地:縁起が悪いなんてないですよ。あれは年末にも行き、正月にも行くのがほんとうなんです。私は自分の娘たちの大学受験のときには、出陣式2回しましたよ。受験一週間前に、お墓の前でいっぺん出陣式します。そして前日に仏壇の前でします。嫁入りするときも、ちゃんとそれは挨拶させますよ。そういうことをするべきなんですよ。心構えが変わってくるわけですから。
吉田:私も親から正月と春、秋の3回はどんなことがあっても墓参りに行くようにと小学校の時に教えられました。ですから、今うちの子どもたちも行きます。お墓にお参りして、そこではお墓と家族しかいないから、話をしてちゃんと聞くんですね。これが大事だとおもうんです。
加地:そうです。このことがいま日本の情況のなかで最高に大切なことなんですよ。日本を支えているのは家族なんです。個人ではないんですよ。これが崩壊したら、もうだめです。日本のいまの個人主義は、100パーセント利己主義ですからね。ほんとうの個人主義なら自己責任をもつんです。事故石に印をもたないなら、利己主義なんですね。
個人が利己主義になるのをかろうじて防いで、日本を支えているのは家族なんですよ。じゃーその家族が集まって何かがという場合、いっしょにすき焼き食べたって、あんなもの家族の団欒でもなんでもない。やっぱり粛然とする場面があってはじめて家族は生きるわけです。そうすると、外にあってはお墓であり、内にあってはお仏壇。これを大事にすべきです。
吉田:そうですね。
加地:家族というのは権利の問題とは違うんですよ。家族は、無償の、あらゆるサポートをする、それをするのが家族でしょう。権利を主張し合うのは家族ではないですよ。無償の愛情というかな、そのようなものが家族でありね、あるいはグループであり、共同体なんですよ。共同体の良さというものは、無償の行為ということをしてお互いが信頼し合うところでしょう。これを日本人は失っているんですよ。いま。
かろうじて家族がそれをもっているけれども。無償の愛情ということが家族を支える大きなものなんです。これは理屈じゃないですよ。感覚です。いまは理屈を重んじ過ぎるんですね。これが家族を不幸にしているんだと思います。ですから吉田さん、もっといわにゃーあかん。
吉田:そうですね。