2020/02/22 【石文化対談】
吉田:どの家だって最後は病院にお世話になりますよ。それは分かってますよ。だけど、そこいくまでに、家族がどれだけの世話をするか。その世話のあり方も大切に考えなければいけないわけです。介護福祉士のお書きになったエッセーで、たしか「鬼嫁」というタイトル。彼女が担当する家に介護にゆく。そうすると、その家の奥さんが、自分の姑じゃよたよたしているので、いまからどうしようかと思って悩んでいると言うんです。そこでこの介護福祉士さんは「絶対に手を差しのべたらいかん」って言う。姑さんが壁を伝いながら歩いている、そこへ、手を差し伸べようと思う。ふつうそうするのが当たり前とおもうでしょ。
特に嫁さんはね。それをするもうだめなんですと。いったん手を引いたら、頼ってしまう。きのうまで壁を伝ってでも手洗いにいっていた姑が、もう行かなくなる。かならず嫁を起こして手を持ってもらうようになる。それはしちゃーいけないんだと。その姑さんが壁を伝わって手洗いに行くということを、近所中知っている。それを手助けしないのは鬼嫁じゃないかと。近所でどんなに言われてもかまわない。それがじつは姑さんにとっても幸せなんですと、書いている。人はそういうことで一度頼るようになったら、もう自分でできなくなってしまうl。手洗いに一人でいけなくなったら、もはや介護を頼りにして生きるしかない。物体化していくわけですよ。一人で手洗いに行くというのは、最後の誇りなんです。だから支えちゃいけない、手を差し伸べるなというんですよ。
鬼嫁と言われても、かまわない。そして、手を握った瞬間、もし握るならば、覚悟をしなさいと。もうそれ以後はずーっと手を添えることを覚悟しなくてはいけない。それをしなければ、姑さんの人間性というものを否定することになる。素晴らしい文章ですね。冷たく見えるけど、そうじゃない。それが家族なんだ、いつも一緒にいるということなんですね。まして、亡くなられた方のために祈るというのは、家族しかしてくれませんよ。全優石は、がんばってほしいですね。この前、講演で言ったんですが、インドでは人は焼いた灰がガンジス河に流れてしまうから、お墓がない。だから、インドには全優石はないんだと。
皆:ワッハハハハ。