2014/04/28【有名人のお墓 】
逃げても逃げても追いかけてくる死の恐怖。だが、モーパッサンの心に棲みついた死神は、彼を自由にはしてくれなかった。病に冒された晩年の旅から旅への生活は異常とも思えるめまぐるしさ…。ある友人に、「つきまとって離れない死の恐怖から逃げるためだ」と語ってはいる。あるいは、弟を死に至らしめ、自ら...
2014/04/28【有名人のお墓 】
「踊り子の画家」。人々はドガをそう呼んだ。しかし、この呼び名は本人にとっては本意ではなかった。舞台から観客に向かって、微笑むプリマドンナ。練習の合間にトウシューズの紐を直す踊り子。出番を待つ舞台裏の彼女たち・・・・・・。確かにドガは多くの踊り子たちを描いている。彼が足繁くパリのオペラ座に通ったのも事...
2014/04/28【有名人のお墓 】
光が差しこんできたかに思えたとき、無情にも彼の命は絶たれてしまった。貧窮と苦悩から逃れることのできないまま… 狂おしくひたむきにパリを生きたモディリアーニ。35歳の生涯を閉じたのは1920年1月のことであった。二日後、妻ジャンヌは窓から身を投げ“モディ”の後を...
2014/04/28【有名人のお墓 】
VISSE,SCRISSE,AMO・・・・・・生きた、書いた、恋した・・・・・・。スタンダールがその遺書に書いた墓碑銘だが、自らの一生をみごとに一言で表現した至言というほかはない。ナポレオンという嵐がヨーロッパに吹き荒れ、その余燼がくすぶり続けた革命の時代。あくまで自我を貫いて生き、たぐいまれな旺盛...
2014/04/28【有名人のお墓 】
ブラームスは1833年、ドイツのハンブルクに生まれた。北ドイツ人特有の内気で打ち解けない性格であったが、それまでの大音楽家と違って、生前に社会的な成功をおさめ、創作活動のみで富を築いた音楽史上最初の作曲家となった。 幼年時代は貧困そのものだったが、両親は彼に充分な教育を受けさせた。早くからコントラ...
2014/04/28【有名人のお墓 】
世紀末芸術の代表格、グスタフ・クリムト。恋多き人生、執拗なまでの女性へのこだわりは、彼の絵に語られている。 1862年、金細工師の長男として生まれた彼は、1876年ウィーンの工芸学校に入学。学校を終えると、弟エルンストや友人と芸術家カンパニーを設立する。ブルク劇場天井画の仕事では金十字功労賞を受け...
2014/04/28【有名人のお墓 】
自らの天才は生活に注ぎ作品には才能しか使わなかった、とうそぶいた男。かつては、文壇のみならず、社交界の寵児であり、選ばれし者、時代の申し子たるを自認していた審美主義者。そして稀代の、もしくは永遠のダンディー!オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド。 1895年、その40歳の5月、彼...
2014/04/28【有名人のお墓 】
69歳のワグナーが心臓発作によって波乱の生涯に幕を下ろした日、妻コジマはおよそ20時間、夫の亡骸の傍らを離れなかった。医師は発作が心因性のものであると診断した。この日の朝、ふたりの間に激しい言い争いがあったことを娘のイゾルデは証言している。 リヒャルト・ワグナーは、1813年5月22日ザクセン王国...
2014/04/28【有名人のお墓 】
「千年生きたのよりもなお多い思い出を私はもつ」C・B。かつて地上に存在した、シャルル・ボードレールという名の男。その憂鬱は永久の住処に眠る。 シャルル=ピエール・ボードレール、1821年4月9日パリ、オートフイユ通りに生まれる。画家だった父ジョゼフ=フランソワ、母カロリーヌ・デュファイ。シャルルが...
2014/04/28【有名人のお墓 】
天才というものは、自ら偶然を引き起こす力を持っているのだろうか。アシル・クロード・ドビッシーが音楽の道に進むようになったのもある偶然からであった。 1862年8月22日、サン・ジェルマンで陶器店を営む家にドビッシーは生まれる。一家の暮らしは楽ではなく、ドビッシーが音楽に目覚めるような環境は全くなか...
2014/04/28【有名人のお墓 】
卓上ピアノの前に立ち、何やら曲らしいものを弾いている男の子はまだ、6歳。母親のアンナが五線譜をわたすと、たどたどしいながらも、その子はワルツを書きとめていた。アンナはその曲に<最初のワルツ>と題名を書き入れる。ヨハン・シュトラウス2世の処女作である。 彼は1825年、この世に生を受けた時から父ヨハ...
2014/04/28【有名人のお墓 】
無名の若者、アレクサンドル・デュマ・フィスは、コレージュ・ブルボン(現在のリセ・コンドルセ)を1842年に卒業したものの、大学受験資格の試験に失敗。デュマは、父が借りてくれた独身用のアパルトマンに住み、父の金で、作家になるといいながら、自由気ままな生活を送っていた。そんな時、町中でひとりの女をみかけ...
2014/04/28【有名人のお墓 】
言葉らしい言葉を彼は残していない。生涯独身であった。遺されたのは彼の絵のみ、そう言っていい。不朽の名作『春』『ヴィーナスの誕生』の画家―サンドロ・ボッティチェリ。 フィレンツェの皮鞣し職人マリアーノ・フィリペーピの四男として彼は生まれた。本名、アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ。&ld...
2014/04/28【有名人のお墓 】
父ジョゼッペは、屠殺監督官と市の時刻を告げるトランペット吹きを兼務。傍ら、オペラ劇場のホルン奏者も務めていた。母アンナは、美貌と美声でならしたパン屋の娘。ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ、1792年2月29日、イタリアの小市ペーザロに生まれる。10歳の頃、父からホルンの手ほどきをうける。それと...
2014/04/28【有名人のお墓 】
なにより絵を描くことが好きで、画家になりたいと憧れていた。だが、13歳の時、夢を諦める。モスクワ大学で、経済学と法学を専攻。優秀な成績を修め、学者として将来が嘱望されていたが、1895年モスクワで目にした印象派展、モネの『積みわら』、その圧倒的な印象を拭いさることができず、翌年ついに人生を絵画にゆだ...
2014/04/28【有名人のお墓 】
ボンに近いエンデニッヒの精神病院の一室。四肢の自由がきかなくなったシューマンを、妻クララが見舞った。彼の死の2日前。2年ぶりに面会を許された妻に、彼はやっとのことで腕を回した。「私は決して忘れません。世界中の宝をもってしても、この抱擁に変えられないでしょう」と後にクララは語っている。ロベルト・シュー...
2014/04/28【有名人のお墓 】
鏡があれば、その前に必ず立ち止まり、映し出された自分を入念に見入る男。カメラに向かって挑むようなポーズをとる男。エゴン・シーレは、28年という短い生涯の間に100枚以上の自画像を残している。 1890年、エゴン・シーレは父が駅の管理者という中流家庭に生まれる。15歳の時に最愛の父を亡くした彼は、1...
2014/04/25【吉村作治 】
皆さまこんにちは! 全優石のキャラクターをやっております、吉村作治です。 専門は、エジプト考古学です。10歳の時から勉強し、22歳の時初めてエジプト現地に行きました。現地に6ヶ月、往復に1.5ヶ月、合計7.5ヶ月かけて行きましたが、ピラミッドとミイラの魅力にとりつかれまして、その後45...
2014/04/25【吉村作治 】
こんにちは、吉村作治です。皆様お元気ですか。 私は、毎年数回のエジプトでの発掘調査を行っております。その為1年に10回は日本とエジプトを往復しています。今年は1月末に革命がおきまして、所管の考古庁が混乱していまして、いろいろと不都合が多く困っています。 今から8年前、60歳になったとき、祖国日本...
2014/04/25【吉村作治 】
皆さま、すっかり秋らしくなってきましたがお元気ですか。 さて長い間、ご心配とご迷惑をおかけした私に対する訴訟が、去る10月25日に結審し、結果は当然のごとく、私への賠償請求は棄却されました。 昨年5月に、「太陽の船プロジェクトの事務局長を名乗る男性に、儲かるから出資金を出すよう持ちかけられたとい...