【ご注意】
こちらに掲載されているお墓は、ご応募された方が想いを込めて作っておられます。安易に模倣等されないようご配慮をお願い致します。
埼玉県 佐藤様
亡くなった主人を想い、お墓のデザインをしました。ウエスタンが好きで、生前はアメリカに行きウエスタン調の小物を集めるのが好きだった主人は、夕日に照らされ馬に乗ったカウボーイの様な人、クリント・イーストウッドへの憧れもありました。 お墓は主人のイメージ通りのお墓をつくりたいと思いました。カウボーイハットをかぶった石碑、ウェスタンブーツの花立て、蹄鉄の香炉を考え、これをお墓に出来たらきっと満足できると思い、お墓づくりをスタートしました。そして、主人との思い出で強く印象に残るのは、主人が体調を崩して自宅療養をしていたとき、主人が「見て、蝶が飛んでいるよ。」と、めずらしく私に声を掛け、2人で部屋の中から窓越しに庭を見下ろして、2匹でヒラヒラと飛んでいる黒アゲハ蝶を見た事。その思い出を形にしたくて、2匹の黒アゲハ蝶をデザインしました。 実際に始めてみると、試行錯誤もあり順風満帆とはいきませんでしたが、子供達の協力もありイメージどおりのお墓をつくる事ができて、とても満足しています。墓石には英語で「God Took You From Our Home But Never From Our Hearts」(いつも見守っているよ。)と刻んであります。
神奈川県 高倉様
魅せられて、想いを形に! 主人と二人で寿陵墓を考えました。現役でそんな年齢でもないですが…。いずれ必要なことですし、自分の想いを形にしたいと考え、主人に話したところ、やさしい主人はOKをだしてくれました。私の強い想いは、仕事柄「MR-2」(トヨタ)のデザインに魅せられ、10年以上駆使している愛車(今では生産されていない)を、モニュメントとして残しておきたいとことです。 ただ、心配なのはそんなお墓を実際に作れるかどうかでした。 担当の石材店と打ち合わせたところ、承諾してくれました、しかし、もちろん図面などはありません。私の愛車を数枚撮って、10日後位に図面が出来上がり安心しました。聞くところによると、写真のタイヤサイズから全ての寸法を割り出して、図面を作ったとのことでした。現物ができるまで、楽しみでもあり、心配でもありました。 また、ホェールウオッチングも好きで、デザインに取り入れてもらいました。出来上がりは満足しています。霊園の話題にもなったそうです。
北海道 星野様
私たち夫婦は、主に輸入雑誌のお店を営んでいました。主人が闘病生活に入る前までは、店は10代の若い女の子達が出入りする可愛らしく、楽しく、夢いっぱいの人気の店でした。主人は生前の趣味が多彩で、モトクロス、マウンテンバイク、バスケットボール、ペットのわんちゃん等など...その中でも、一番なのは愛車のミニ・クーパーを乗り回すことでした。 しかし、今は、乗る主人のいないミニ・クーパー。私は子供たちと、そんな夫のために、せめてものお墓にしてあげようと、形としてベンチにはミニ・クーパーのボディを表現、前部にはヘッドライトも完備、壁にはクーパーの写真を彫刻しました。 そこには私への感謝の言葉、そして子供たちへと、実筆のメッセージが彫刻されています。いつもお墓参りするたびに、「頑張れ~」と励まされているようです。
群馬県 三木様
不思議なことがありました。兄夫婦、私と母が別々に石材店に行って気に入ったお墓が同じだったことです。気に入ったポイントや考え方が一緒だったということに、家族として幸せの輪を感じました。 生前に父が好んで着ていた暖色系の茶の服に、父の面影をリンクしていたのかもしれません。温和で優しい父でした。そんな温かい父のオーラを感じるお墓にしたいと思い、外柵は富岡市の象徴・富岡製糸場をイメージしたレンガ造りにしました。庭いじりが大好きだった父にぴったりのイメージです。このお墓を眺めていると、いつでも、どんなことがあっても心が和みます。「気持ちが和らぐネ」と家族で語れるほど、私達の大切なところになりました。デザイン、文字、色、ひとつひとつに父への想いを込めたお墓になりました。 父さん、家族であったことに感謝します。感謝の輪でつながった家族の輪を感じています。墓石には「和」の文字を抽象的に彫刻。「のぎへん」の横の「口」を家紋にしました。
静岡県 久保田様
想い・・今回お墓の建立に関して、姉がなくなりどんなお墓を立てたら良いかと、色々考えインターネットでも調べて思ったことは、あたたかみのあるお墓、自分たちを表現できるお墓と考え、立ったままお参りができるようレンガで高めのベースをつくり、赤い墓石の中央にブロンズでお花を飾り、いつでも花が、満ち溢れているようにしました。
愛媛県 渡部様
1.墓誌がグランドピアノの形で黒い石 2.右の門柱がカメラの形、レンズの部分が家紋 3.左の門柱が花壇 ピアノの形の墓標は長女がヤマハのピアノ講師をしていることから、また小生はカメラが好きなため。花壇は年中花を咲かせてやろうと思ってデザインに取り入れました。 また、墓石にはブロンズの花の彫刻を取り入れました。妻が平成19年9月に亡くなりました。急なことで誠に残念です。私は昭和4年生まれで82歳です。元気でいますので毎日ボランティアで体を動かし頑張っています。おかげで元気です。 お墓までは、20kmほどありますが、4~5日に1回はお墓に会いに、車で往復しています。
北海道 成瀬様
「明るく、優しく出迎え、しばらくその場にず~っと居て、語り合える」そんなお墓を建てたいと長く思っていた。お参りにみえても、手を合わせてすぐに帰ってしまうような、そんななんとなくどこか淋しい感じのお墓参りでは味気ない。そこで考えたのが、入口に、幸せを呼んでくれそうな「フクロウ」がお出迎えして、お墓にはいつまでも優しく咲き続けてくれるブロンズの花。 子をいたわる母の姿を表す母と子の像を設置、敷地の角隅には人工芝やテーブル、ベンチを配置したガーデニング調のお庭を設けました。ゆっくりおしゃべりをし、くつろげる憩いのスペースに仕上がりました。 亡くなったご先祖さま達や、今の家族のことを語り合える、家族の絆を深める場でもあります。
静岡県 佐野様
亡き妻と私の2人の記念碑です。建築士の私が、想いをデザインしました。お墓というより、2人で歩んできた人生をカタチにしたかった。両側の曲がりくねった2つの塔は、私たち夫婦の歩んできた「道」です。 それぞれ、身延と登別で生まれ、19歳で小樽で出会い、富士での結婚生活。象嵌の「星」は2人の生まれた場所、そして「ハート」は出会い、結婚と愛を育んだ場所を表します。 中央に3つ重なるなる緑色の御影石は、3人の子供を象徴し、2人の歩みを彫刻で表現しました。 墓石の前のグラデーションの円は、ひまわりのように元気で明るく、多くの友人が集まり人の輪が広がっていたことを表現しています。 「人とのつながりを大事にする」。家族の大切な場所になりました。
岩手県 大石様
ふるさとへ。父が仕事の関係で生まれ育った北海道を離れたのは、50歳を迎える頃でした。以後昨年5月に81歳で亡くなるまでの30年余りを、この盛岡の地で過ごしました。70歳を過ぎたあたりからは、ふるさとから冠婚葬祭の便りがあっても、帰郷することは叶いませんでした。今から10年位前だったでしょうか。久しぶりに同窓会の案内が父の元にも届きました。当時から入退院を繰り返し、足腰も弱っていた父は残念ながら欠席でした。 後日送られてきた同窓会の名簿や記念の冊子を時折出しては、懐かしそうに見ていた父の姿を思い出します。父が亡くなり遺品の整理をしていると、それらは金庫の中に大切に保管されていました。普段からあまり口に出して言うことは少なかったけれど、父の故郷への強い思いを改めて感じる瞬間でした。初めてのお墓づくりでしたが、父や私たちの思いをこうして形にしていただけたことにとても感謝しています。 方向音痴の父が迷わず、いつでも故郷まで行けるように、出身地である愛別町のところには星印をつけていただきました。昔、遊んだ山や川を見に行っているかなあ。時々、兄弟姉妹や懐かしい友人に会いに故郷に行っているかなあ。
岡山県 井上様
母が亡くなり、四十九日法要までにお墓を建立したかったため、葬儀の後からすぐに墓地探しを始めました。下見に行った墓地で偶然、石材店に会い墓地の説明から石碑建立までのお話を聞きました。墓地を見て回っている中で、気に入ったお墓があり、そのお墓を設計・施工された石材店さんと知り、図面の作成をお願いしてみました。希望するデザインは黒御影石を使い、柔らかく他にないデザインで、出身地に鶴の飛来地があるので鶴の彫刻と、花の彫刻がしたいことを伝えました。お墓を建てるまでの時間が少ないので、短期間の打ち合わせでしたが、作ってもらった図面は斬新なデザインで出来上がりが楽しみでした。 実際に出来上がったお墓は、黒い石を使っても重苦しくなく、鶴・渓流・自作自筆の詩・詩に合わせた桜を彫刻してもらいましたが、図柄も配置もよく、図面で見るよりも大きく立派なお墓ができて、家族皆大変気に入りました。(出来上がったあとに、自分で色も入れてみました)短い期間で、思っていた以上のお墓ができ、とても満足しています。
愛知県 徳浪様
高校生の息子を亡くし、野球場をイメージして作成しました。こだわったのは墓石の後ろを丸くしたことです。後ろから見ると思い出の球場が浮かんできます。 息子は地元では有名な高校の野球部に所属、将来有望なピッチャーと期待されていた。当初、一般的なお墓を建てるつもりでいたが、家族といろいろ話すうちに、自然と野球場のようなお墓のイメージがかたまっていった。 バックスクリーンを模した墓石の前に、少しせり上がった原寸大のピッチャープレー卜があり、その先には ホームベースを製作した。御影石でつくったグローブも製作した。これは息子が実際に使っていたグローブを、色も形もできるだけ忠実に再現したものだ。さらに、グローブのなかには大理石のボールを収めた。バックスクリーンを模した石には「絆」という文字を刻んだ。これは 家族で相談して選んだ言葉だった。 お墓は亡くなった人だけのものではないが、亡くなった人を感じることのできるお墓であっていいと思う。家族の歴史、ルーツであり、絆を確認するためのものでもある。
茨城県 丹羽様
「ラグビーボール型の墓に入りたい。」と父から図面入りの封書が転勤先に届いたのは、何年も前のことでした。当時は、また突飛なことを言い出したものだと思っていました。墓など建てた経験もなく、ましてやオリジナルデザインの墓など私達に手が出るものとは思ってもいませんでした。おそらく父も半分は洒落だったのだと思います。 しかし、その父が亡くなり、実際に実家のある横浜にお墓を建てることとなりました。石材店の方に教わりながら墓地と墓石を選んでいるなか、頭の隅にあった父のラグビーボール型の墓について質問をしました。時間・敷地・予算ともに限りがある条件だったので、もちろん無理だろうと思い込んでの質問でしたが、答えは予想外のものでした。工夫しだいで可能だという嬉しい回答を頂き、すぐにデザインなどにとりかかりました。完成までの時間が限られていましたが、担当の方がとても親身に対応してくださり、都度アドバイスをくださったお陰で、どうにか納骨の日までに墓を完成させることができました。 父の影響で兄弟3人ともにラグビーをして育ち、家族の象徴ともいえるラグビーボール。それが墓石となり、父も喜んでいると思います。 父は今頃、小さな孫達が親しみを込めて墓石をなでている姿をニコニコと微笑みながら見守ってくれていることと思います。
北海道 冨居様
平成22年2月の一周忌の頃から、主人は今何処に居るのだろう。「パパ、今日は何処の海で釣りをしていますか?行った事の無い海ですか?」と思うようになりました。バスケットボールの審判長として、プレーヤーの為に正しいジャッジをしてあげたいと言って、常に自身の体に気を使い、関わってきて30年の区切りで引退。これから人生を楽しもうと、2人で海へ釣りに出かけ、朝陽の中でおにぎりをほおばる。こんな小さな幸せに満足して生きていたのに、何故貴方が、ここに居ないのか問う事も、怒る事も行き場の無い日々でした。 でも貴方の笑顔の写真は、心を少しずつ優しくしてくれています。ならば貴方を偲び、我が子やその子孫に、ここから始まる家系に貴方の人生が残る様なお墓が出来たらと思ったのです。2人の子供(兄・妹)も、バスケットボール、海 釣り、愛犬、家紋と様々な思いを話し、そうして今貴方の「新しい家」が出来ました。 お墓の表札の「Tomii Family」は貴方の文字です。パパ満足して下さいネ!貴方の残してくれた子供たちと共に貴方にプレゼントです。「For ever」は、こちらから贈ります。指輪に刻んでくれた言葉を記しました。
様
父を亡くし、お墓を建てることにななりました。洋型のお墓にしようと家族で決め、石屋さんに提案してもらいましたが、しっくりくるお墓にはなりませんでした。「お墓って、そんなに、こだわるものではない」と自分に言い聞かせ、契約することを決めた前日、別の石材店の施工事例集を見て「想いのお墓づくり」を知りました。これは、父が導いてくれたご縁と感じました。 ここから、私たちのワクワクしながらのお墓づくりが始まりました。見栄っ張りだった父だったから、周りと違うお墓にしたい。お参りに来た方が「おっ、いいね!!」って感じてくれるお墓にしたい。 打ち合わせ中は、父の話題、家族同士の話しで笑いの絶えない楽しい時間・・・時には、大好きな父を思って、涙を流しながら・・・ 「お墓を作っているのに、ワクワクする」こんな表現がぴったりなお墓づくりでした。中央の円の敷石は、社交ダンスをしていた父のステージ。ステージのバックには、家族みんなが好きな「桜」の象嵌彫刻。 そして、墓誌には、父の好きだった胡蝶蘭がひっそりと咲いています。お参りに来てくれた方への感謝をベンチに彫刻。そして、一目惚れした可愛い「石んこ地蔵」が、微笑んで迎え入れてくれます。納骨の日には、お骨と一緒に、父愛用のダンスシューズを納めました。 きっと、天国の桜の花咲く舞台で、スポットライトをあびる父が踊っていると思います。ここなら、寂しくない。そんな、父へ想いがいっぱい詰まったお墓になりました。
静岡県 土屋様
想い・・・娘が亡くなり、建墓することになりました。明るいイメージのお墓、いつでもお参りができるお墓にと家族全員で考えました。 そこで墓石に灯りが入り、いつでも明るく照らされるよう、墓石中央をくりぬき、百合の花のステンドグラスを入れることにしました。 お参りするたびに、元気をもらえるお墓に仕上がったと思っています。
埼玉県 菅様
私が子供の頃から、父は朝、目を覚ますと大音量で音楽を聴いている人でした。 電子回路に詳しい父はアンプ、スピーカー、レコード針等に凝っていて、週末になると秋葉原まで、部品を買いに行き、より良い音で聴ける工夫を自分なりにしていて、組み立てることも楽しんでいました。どんなお墓にするのか、家族でいろいろ案を出し合いました。父とすぐわかる「響」を中心に入れることはすぐに決まりましたが、その後で「♪を入れて欲しい」との父からの遺言をどこに入れるか、散々迷いました。 母と妹からの提案で家紋を入れるべき場所に、父の好きだったベートーヴェンの代表曲である「運命」のタタタターン、タタタターンの音符を入れました。堀家らしく、家族で案を出し合い悪いところは全員が納得できるまで修正し仕上がったお墓です。天国の父もきっと喜んでくれていると思います。石材店さんにも石材選びから型、角度決め等細かいところ迄何度も打ち合わせに立ちあって頂きました。 またお寺さんにも、心優しく音楽好きだった父にふさわしい「優響院法俊清信士」という戒名を頂き家族も大喜びしました。皆さんに大変お世話になり、仕上がった実家のお墓です。
北海道 佐藤様
ひとつの大きな墓石の両脇を別の石種の石が支え、包むような形のお墓です。 父は、生前、布団屋を営んでいました。布団のように、温かく優しく人を包み込み、そしてまっすぐに、生真面目にコツコツ歩んできた父の人生。そんな人に優しく、自分に厳しい父の人柄を、お墓の加工でなめらかなウェーブとシャープなストレート性として表現しました。 碑の中心には、家族と支えあう気持ちを左右の2本の柱として、(柱石使用は、日本人としての誇りとして、日本を代表する茨城産稲田みかげに)、その中心には父が大好きであった「追想」という文字を、父の実筆でもって刻みこみました。父の想いと、家族の想いがひとつになったお墓です。
福岡県 N様
お墓の敷地には、家族の好きな樹木を植えたいと思ってお寺に相談しました。 お寺のご住職からは、墓地が広いので、周りの墓石に影響のないものであればかまわないとのご返事をいただきました。そこで石材店と相談、3本の石柱、ベンチなどを配し、全体を広くゆったりとした感じのデザインにしました。3本の墓石は炭や木質系燃料を扱う仕事柄、炭をイメージした黒御影の石柱としました。樹木はヤマボウシ、サルスベリ、アゼリア、ドウダンツツジ、タマリュウなどの低木を植えました。 樹木や季節の花に囲まれ、ミニ庭園にいるような、落ち着けるお墓になったと思っています。
福岡県 参田様
まだまだこれからというときに旅立ってしまった母の為に、母の生きた証と、母がいてくれたからこそ今の自分達が存在しているという感謝の気持ちを、形にしようと考え、従来の形にとらわれない、世界でただ1つしかない、お墓を建てようと考えました。 石材店の担当者の方と何度も打ち合わせを行い、お墓のイメージを共有し、図面を作ってもらっては修正するという作業を繰り返しました。 また、使用する石材も、お墓ですから当然ではありますが、雨の日も、風の日も、長きにわたって屋外にあることから、吸水性・耐久性について相談したり、色のコントラストにもこだわりこの石に決めました。 彫刻においては、母への感謝の気持ちと、残された家族の気持ちを言葉にし、そのままお墓に刻み込み、世界に1つしかない、母のお墓が完成しました。 石碑の表面文字 涙はもう捨てて命の限りに生きていく 悲しみを勲章に変えられる日まで お疲れさま・・・そして、ありがとう! Sanda family
北海道 佐藤様
「この世で、是非、一つしかない自分らしいお墓を建てていきたい!」と、亡き夫は夏前の6月から約半年ほどかけながらプランを練り、雪積もる寸前の11月に、その想いをのせた念願のお墓を建てることができました。 夫は本業である理容業のかたわら、アマチュアながら写真コンテストでは幾度となく入賞しているプロさながらの写真家でもありました。また山登り好きで、地元の山岳会の会長も努めていました。写真の数々は、やはり山々の神秘な素晴らしい写真を多く残しています。「この世に一つしかない…」という想いから選んだ石は、自然の面白さ、不思議さを持ち合わせている、岐阜県姪川村から産出する恵那の白サビ交じりの石に決まりました。表面には、石の持つ自然が造った石模様の美しさをそのまま生かし、文字の彫刻も「自然」という夫のこだわり。その夫は、お墓の完成から3ヵ月後、病により旅立ってしまいました。 お墓に対して、満足し、喜び、そして逝った。石に触って、何度も触れて「どうだあ!」と私たち家族に微笑んでいた、あの時の夫の顔が浮かびます。生前、「お墓のコンテスト」の時期がくれば応募したいと話していたので、応募しました。
熊本県 笠間様
家内が病弱で長い間闘病生活を続けて、私より先に逝ってしましました。 生前からお墓を作るのか、納骨堂にお世話になるのか、ずいぶん悩んでおりました。ある日、地元の新聞記事に全優石の「お墓のセミナーと相談会」開催のお知らせがあり、何かヒントはないかと出かけてみました。パンフレットやビデオでのお墓についての説明があり、イメージとして自分のお墓を持つべきかなあと感じ帰ってきました。その後約一年、墓地をみたり、石材店で話を聞いたりして自分のお墓を作るべきかどうか考えましたが、なかなか前に進まずにいました。 そこでひょっと思い出したのが、全優石のセミナーでお会いした石材店社長で、ある日電話をしてみました。さっそく飛んできていただき、希望や思いを聞いてもらい、どんなお墓を、予算はどの位でというように話をかさね、やっと決まったのが墓地のスペースに合わせた墓標で、家内の名前の一字と行末の愛を込めて「愛」を彫っていただき、出来栄えに感謝しております。
山形県 渋谷様
以前のお墓はとても古く、名前も所々消えてしまい、強い風が吹くと傾いたり、一部外れたりしていました。 母は生前、いつもお墓のことを「建てらんなね、建てらんなね」(「建てなければならない」の方言)と、気にかけていました。3年前の夏、母が亡くなり、私は母が建てたがっていた新しいお墓に、母を入れてあげたいと強く思うようになりました。母はいつも笑顔で穏やかな表情をしていた方だったので、お墓は母のように丸みを持った形にして頂きました。きっと、天国で夫婦共々喜んでくれていることと思います。 設計者のコメント 建立場所が雪国であるため、カロートを地上レベルにもってきました。水はけを良くし、納骨時の利便性を図りました。素材は深緑系と鮮やかな赤系の花崗岩の組み合わせにより、故人が愛した花や緑を暗示しています。 墓誌プレートを張り付ける方法により、全体としてシンプルな形状を大切にしました。