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〒141-0021 東京都品川区上大崎2-7-15
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想いを込めたお墓デザインコンテスト

第24回デザインコンテスト受賞のお墓

【ご注意】
こちらに掲載されているお墓は、ご応募された方が想いを込めて作っておられます。安易に模倣等されないようご配慮をお願い致します。



世界共通の手話の「I LOVE YOU」イラスト付きのお墓

神奈川県 前田様

お墓建立の際のエピソード

夫婦で協力して建立しました。主人は聴覚が不自由なため、私が手話通訳して進めました。今やLINEのスタンプでも知られていますが、親指と人差し指、小指を立てた手話の「アイラブユー」のイラストは、主人が世界共通のマーク、メッセージだからぜひ入れてほしいと希望しました。 主人は大手企業に勤め、その企業で初めて聴覚障害のある採用者でしたが、今は定年退職をしています。私は高校で福祉(手話)を教え、夜は横浜市が主催する手話の講習会で指導しています。私たちの住む横浜は手話言語条例が制定され、手話は言葉という認識で、企業や学校、コミュニティなどで手話の修得に力を入れている地域です。 これまでの普段の生活、歩んできた人生の中で、色々不自由なこと、困難など、二人で乗り越えてきた夫婦愛のマークだと思っています。「忍」は主人の名前の一部ですが、それだけでなくこれまでの人生を二人で耐え忍んできたニュアンスも込めた一文字です。



光と自然がいっぱいの墓地に、メルヘンティック、音楽を奏でる3人の天使の彫刻

神奈川県 中井様

お墓建立の際のエピソード

人は死んで肉体は亡くなっても、魂は生き続けると私は思っています。 私は美大を卒業し、絵を描いたり、布地でパッチワーク風景画を描くのがとても好きです。今はパッチワークの天使制作に魅せられています。まだ元気な主人と私がお墓を建てるとは思いませんでした。石材店の担当者に「この際お墓を建てたらどうか」と言われ、天使に守られ永久の眠りにつきたいとの思いに至りました。 私たちがお墓を建てる場所は芝生墓地で、しかも宗教的には全く自由な所なので、是非天使をイメージしたお墓を建てたいと思うようになりました。主人はクリスチャンなので、すぐに了解してもらいました。 天使のレリーフは、音楽を奏でる天使で、右側の天使は笛を、真中は弦を、左側はラッパを吹いています。お墓の前に立つと、清らかなメロディが流れてくるのを感じます。光と自然がいっぱいの奥多摩がとても気に入っていつもお世話になっています。



サッカー少年だった息子のためにサッカースタジアムのようなお墓

群馬県 橋本様

お墓建立の際のエピソード

18歳で亡くなった息子は、サッカーを心から愛していました。9歳の時に急性脳炎になり、その後遺症で9年間発作に苦しめられました。危険を伴うため、運動は控えた方が良いのではないかと伝えたこともありましたが、「サッカーをやめるくらいなら死んだ方がいい」とキッパリ言った息子の言葉を尊重し、亡くなるまで大好きなサッカーやフットサルを大切な仲間と続けていました。 息子のお墓を建てると考えた時には、サッカーしか思い浮かばず石材店さんの力を借りてデザインを考えました。サッカーコートにスタジアム、息子が初めて買った星型模様のサッカーボール。墓石には、息子の字で書かれた「キセキ」の文字を刻んでいただき、息子が描いた虹も丁寧に再現してもらいました。「キセキ」には様々な意味があります。奇跡が起こる、今や結婚式の定番歌となっているGReeeeN の「キセキ」など……。 私たち夫婦が作りたかったイメージ通りのお墓を作っていただき感謝しています。天国の息子も、大変喜んでいると思います。息子がいつまでも楽しくサッカーを続けていけるよう、このお墓をいつまでもきれいに保ち続けたいと思っています。いつかまた、息子に会えるキセキを信じて。



息子から私たちに、私たちから息子に「ありがとう」

熊本県 白石様

お墓建立の際のエピソード

最愛の息子が24歳で亡くなり、私共夫婦はすっかり憔悴していました。親として何か最後にして上げられることはないかと考えた時、明るく友達の多かった息子が、お参りに来て下さるかたを温かく迎えることができるお墓を建てたいと思いました。それが今を生きていくための目標になりました。 まるで息子の部屋を作るかのような気持ちで、こだわって、打ち合わせに何日もかかってしまったのに、石材店さんは暖かく寄り添ってくださいました。 仏石には息子から私たちに、私たちから息子にと、お互い一番伝えたい言葉として「ありがとう」を、墓誌には「ずっといっしょ」を、息子の姉が書いた文字で刻みました。また墓誌の羽根は、自由に大空へ飛び立つイメージで刻み、袖石は墓前に座った人を息子の腕で包み込むような形にしました。 墓地自体がバリアフリーなのですが、お墓も段差などなくし、バリアフリーにもこだわりました。お蔭で今でもたくさんの友達が来てくださり、胸が熱くなります。このお墓は私共の心の癒しです。



「ありがとう」のひらがなを、漢字の「夢」と読めるデザイン文字に一工夫

長崎県 荒木様

お墓建立の際のエピソード

妻の父が亡くなり、お墓を立てようと思い立ちました。「高さが余り高くなく、丸い感じのお墓がいい!」と言う妻と、墓石選びの為に信頼できる石材店に相談に出掛けました。ショールームの壁に貼られていたカレンダーに載っている『月雲』と言う名前の墓石に、妻共々心惹かれ、それを使って我が家のお墓の完成予想図を提案してもらいました。 月に掛かる雲をイメージした墓石、その一番高い所と土間の一番手前の両サイドを結んで三角形を作れば、山に見立てることが出来、山が好きだった亡き義父を思い出します。海が好きな義母のために、法名塔の上部の曲面を海の波に見立て、雲に付き物の龍が海から雲をめざし、波をかき分け泳いで行くというイメージで法名塔を墓石の両サイドに配置。 卒業式や入学式の季節に咲く、桜の花を入れたほうが良い!と意見をくれた娘。人生を卒業し、桜の花びらが舞う参道を通って、お墓に入る(入学する)というイメージです。石の色にも桜色を取り入れ、墓石に彫る文字は「ありがとう」と決めていましたが、ただ単にひらがなで表すのではなく、漢字で「夢」と読めるようなデザイン文字を持ち込み、彫ってもらいました。中心の「う」の文字の点は、家族が永遠に集う中心に、揺るぎ無い「絆」を強調するために、赤の着色をしてもらいました。 自分達が、終の棲家として入りたいと思えるお墓が出来上り、大変満足しています。今回のお墓作りを通して、お墓作りは気力も体力も充実している時期に思い立つのが良いと実感したので、皆さんにもぜひお薦めします。



大震災で倒壊したお墓の建て替えを機に、ご先祖様をはじめ、多くの方への感謝の気持ちを込めて「おかげさま」を彫刻

宮城県 芝原様

お墓建立の際のエピソード

先祖代々から続いてきた、昔ながらのお墓を私たち夫婦は守ってきました。 掃除や除草など、今日まで家族みんなで協力して手入れをしていましたが、老後のことを考えたとき、先祖代々のお墓を今までのように守っていけるのか不安に感じるようになりました。 特に、不安に感じたのはお墓の入り口の段差と広い墓所の管理。年を重ねても続けていけるのかどうか…。このままでは、足が遠のいてしまうのではないか…。不安はずっと頭の片隅にありました。 そんな矢先、東日本大震災で墓石が倒れ、キズがついてしまったのです。その時、嫁いでいった娘たちに迷惑を掛けたくないこと、いつまでも綺麗なお墓にしたい、という気持ちが一層強くなりました。その後、兄弟とも相談しお墓を建替えることに決め、石材店の展示場に行き、私たちの希望を叶えてくれる墓石を探すことにしました。 展示場ではデザインや石の種類の多さに驚き、決めるのに迷うほどでした。そんな中、担当者の方が気さくな方で、相談しながらデザインや石の種類を決めることができました。感謝しております。 墓石に刻む言葉は、「おかげさま」にしようとずっと決めていました。 今私たち家族がこうして仲良く、健康に暮らしていけるのも、ご先祖様をはじめ、たくさんの方のおかげさまだと常に感謝しています。 施工していただいた現場の方々や石材店さんには色々お世話していただき、安心することができました。お墓が完成し、色もデザインもその出来上がりには非常に満足しています。お墓参りに行ったときには、いつも心の中で「おかげさま」と言っています。



夭折した息子に、この世の「卒業証書」を贈る。ワンランク上のあの世で活躍を

群馬県 吉井様

お墓建立の際のエピソード

47歳と若く先に逝ってしまった息子の為に、いつまでも家族が一緒にいられるように…そんな想いを込めて、この世にひとつ、私達だけの住処をつくりたいと思いました。 私は、木材を扱う職人として働いて数十年。お墓も建てたら完成ではなく、数年、数十年後の未来を想像して建てるものだと職人として思っています。「国産の石」もこだわりですが、「人が手をくわえていない、ありのままの形を活かしたい」…という想いがあり、自然石を使いたいと思いました。 そこで、石材店さんが見せてくれた石、恵那錆石に、「これしかない!」と一目惚れし、イメージが一気に進みました。少し変わった存在だった息子を讃え、石塔正面には「卒業証書」と刻み、この世の中を卒業し、新たな世界で活躍して貰いたい…という想いを込めました。また、お墓の右下には、「いつも一緒。」という文字を刻み、お花も供えられる形にしました。自然石ならではの、年を追うごとに出るコケや汚れの味わいも、楽しみで仕方がないです。 工事についてもこだわりがありましたが、石材店さんの基礎工事から、字彫り、建て込みまでには惚れ惚れしました。細かなところまで注意し、「ただ建てるわけではない」という想いを感じました。家族一同、本当に感謝しています。 今、毎日お墓に足を運んでお線香をあげています。決して欠かしたことはありません。先立った息子から言葉で返って来る事はありませんが、思いは通じている気がしています。そんなお墓を建てられて本当に良かったと感じています。これからも「世界で1つのお墓」を、家族みんなで大切にしていきたい。いつまでも家族が一緒にいられるように…。



森の仕事が夢だった息子のお墓は、森の番人ふくろう達が見守っています

熊本県 岩本様

お墓建立の際のエピソード

「気をつけて、安全運転でね」 「はあーい」 ヘルメットにこもった間の抜けた、いつも通りの返事が私の聞いた次男の最後の声でした。高校3年生の2学期、17歳でした。下校途中の事故は、用心深い次男に起こるはずのない出来事でした。 突然の死を受け入れられず、どうしても納骨することができずにいた私たちでしたが、ある日、吸い寄せられるように入ったのが石材店の展示場でした。次男が安らかでいられる場所を作ろう、そう思えるようになりました。 次男の性格、好きな物、将来の夢、石材店と色々話させていただくうち、何か見えないものに導きかれるようにお墓のイメージができていきました。「森を作り、育て、活かす」仕事をしたい、と進学を決め、合格の通知を受け取った矢先の事故でした。 森の番人ふくろう達が見守ってくれる「祈り」のお墓は、次男の優しいイメージにぴったりの、素晴らしい場所となりました。 本当の別れのように感じていた納骨でしたが、今は大切な人が眠る特別な場所を作ることができ、よかったと思っています。作っていただいたベンチに座り、彼との思い出、最近の出来事を彼に語りかけます。彼に会える日を楽しみに、毎日を一生懸命生きていこう、そう思えるようになりました。



娘たちの“お参りする場所が欲しい”の一言がきっかけで作ったお墓

栃木県 谷澤様

お墓建立の際のエピソード

余りにも早い別れでした。亡妻とは学生時代に知合い結婚、幸い二人の娘にも恵まれ、慎ましくも幸せな日々を送っていました。やがて二人の娘も巣立って行き、再び夫婦二人だけの生活となり、これからはのんびり過ごして行こうとしていた矢先の事です。持病である膠原病が突然悪化し、半年に渡る闘病生活の甲斐無く、55歳であの世に旅立ってしまいました。 二人とも無宗教で代々のお墓もありませんでしたので、妻が好きだった北海道の荒涼とした場所にでも散骨しようか、などと漠然と考えていましたが、娘たちの“お参りする場所が欲しい”との一言で、お墓をつくることにしました。 妻は、何事にもとらわれない自由な考えを持っており、自分よりも他の人のことをまず思うような優しく情の深い人だったので、そんな人柄が滲み出たモニュメントのようなお墓にしたいと、石材店さんに相談しました。 妻が生前好きだったこととか、野外彫刻展の作品のようなのが良いとか、こちらの勝手な漠然としたイメージを伝えただけだったのですが、見事に形にしていただき、悼む者皆が集える、私たち夫婦らしいものが出来たのではないかと思います。生前余計なものを持っていたり飾ったりするのが嫌いで、自分のお墓など要らないと考えるような家内でしたが、これなら許して貰えているかと思っています。 ちなみに外柵は庭のイメージ、墓石は真四角な石に窪みをつけ「宇宙」を象徴しています。



息子の嫁の「お父さん、素敵なお墓ですね」の言葉に感激

大阪府 中川様

お墓建立の際のエピソード

市の公園墓地の空き募集に応募、3回目でやっと当選。以前から自分自身のお墓を建てたいと思っていたので、すぐに行動、しかしすべての事が初めてでした。 何の知識もないまま、まずは石材店選び、4店目で今回お世話になった担当者の方と出会い、本格的に相談。洋墓にしたいと漠然とした思いはあったのですが、これからが大変、石選びからデザイン、決められた敷地内に限られた予算内で理想的なお墓ができるかどうか心配でした。 石材店のショールームで石や洋墓のデザインを見ましたが、心に響くものが感じられませんでした。それから寝ても覚めてもお墓のことばかり。徐々に自分の中で構築できたものを石材店に相談、それからいろんな霊園に連れていただき、石の種類、色、長所、欠点などを的確にアドバイスいただきました。 石が決まったら次はデザイン。何度も何度も図面を書き直してもらい、好きな言葉、大好きなバラの花を彫刻していただき、何とか理想に近い墓石ができました。 工事の日に立ち合い、基礎から丁寧な作業。 後日。完成したお墓を見て驚きました。 そこには予想以上に立派でスタイリッシュなお墓が建っていました。ここに至るまでには、こんな簡単な文章で表現することができませんが、もっとお墓に対する熱い思いがありました。 一番うれしかったことは、息子の嫁に「お父さん、素敵なお墓ですね」と言われたことです。



伊達政宗公の生誕450年に建立したお墓は、孫デザインの政宗公の兜飾り形

宮城県 石川様

お墓建立の際のエピソード

私は山形県の出身で、現在は仙台市に住んでいます。数年前に両親も仙台に転居し、市内のお寺に入壇しました。私たちの生活は落ち着きつつありましたが、ご先祖様のことが気がかりです。お墓は山形に残してきたままでした。そんな時、父が亡くなり、父には「自分たちの近くで眠って欲しい、ご先祖様にも近くで見守って欲しい」とお墓を仙台に移す決意をしました。 まずは新しく建てるお墓を考えなくてはいけません。私の父はとても歴史に詳しい人でした。そして私の息子は大の歴史好き。お墓を建てる場所は仙台。その上お墓を建てた2017年は伊達政宗公の生誕450年にあたる年。 デザインは高校生の息子に任せました。彼は政宗公の兜飾りをお墓のモチ-フに取り入れました。さすがは私の父の孫です。今ではご先祖様揃って仙台にお引越しも完了し、伊達政宗公の兜の下から私たちを見守ってくれています。



門徒なら誰でも入れる共同墓は、彫刻家による哲学的な「メヴィウスの輪」

兵庫県 龍源寺様

お墓建立の際のエピソード

ご門徒の方ならどなたでも、納骨できるお墓を建立しました。 2018年1月に完成したばかりです。彫刻家の牛尾啓三氏に依頼し、その作品「空間のメヴィウス」を中心としたお墓です。此岸(娑婆世界)から彼岸(極楽浄土)への道筋をあらわしています。墓地の中でもひと際目立つ、門徒の皆様の話題のお墓です。



山頭火の大ファンだった亡父のお墓は、山頭火の句が碑文

長崎県 小﨑様

お墓建立の際のエピソード

美術教師だった父は、漂泊の俳人 山頭火の大のファンだったので、お墓を建立するにあたって、碑の表面に父の思いを入れて、山頭火の句「何を求める風の中をゆく山頭火」としました。なんとなく哲学的。網代笠と法衣姿で、雲にのせ、絵でユーモアを出し、裏面には小﨑家之墓としました。法名塔を脇に据える。 そんな父に励まされ、私は版画家になり、山頭火を版画にして500点を越す。今も筆や刃先に「父の手」の気配を感じています。開眼供養には家族、孫ばかりでなく、日蓮宗のマスコット「小僧さん」も祝ってくれました。「親父は喜んでくれるだろうか」と話しながら、花を供えました。



家族の心に想いを残してくれた愛犬の足跡入りのお墓

大阪府 船生様

お墓建立の際のエピソード

その時は突然訪れた。いつもなら見逃す、一枚のチラシ。 チラシを見て家内に「菩提寺にお墓が出ているけど、一緒に見に行ってみょうか」と言った一言から、お墓建立への道程が始まりました。20年位前から墓地は持ってはいたものの、高圧線の下にあり気が進まず、どこかに、いい墓地はないかなと話をしていた矢先でした。 二日後、石材店の方と待ち合わせをして墓地を見学すると、その場所は角地で、方角等の条件も良く、家内も気に入ったので、直ぐに購入の話を進めることにしました。 墓地が決まれば次は墓石。墓石をどれにするのか、家内と色々と相談しては見たもののなかなか決まらずにいました。石材店の担当の方から、墓石の展示場を見学するよう勧められたので、「取り敢えず、実物を見ないと何も始まらないね」と言って展示場に伺うことにしました。説明を聞きながらたくさんの墓石を見て歩いていると、急に家内が「お父さん、このお墓いいよね〜」と言い、振り返って見ると、天然石の表面をそのまま活かしてあり、素朴で私もとても気に入ったので「そだね〜」と返事をしました。 その墓石は、石の見本を見た時、この石は絶対にない、と二人で結論づけた万成石でした。墓地でもなかなか見ることのできない、個性的な墓石に巡り合うことができました。 墓石の表面の文字や絵は、二人で拘りを3つ刻んだ。 1. 私の好きな「絆」という言葉と、家内が好きな「笑顔」という言葉から、「笑顔でつなぐ絆」という言葉 2. 私が北海道出身のため、それを連想させる雪の結晶のデザイン 3. 2年前に亡くなった愛犬(芝犬)が家族の心に残してくれた思い出の足跡として、犬の足のデザイン 家族みんなでお墓を大切にしてほしいとの思いで、言葉と絵のデザインをお墓に刻みました。家内と出会い、結婚、子供の成長、父母を看送り、人生の殆どを過ごしてきたこの町にお墓を建て、今まで漠然としていた「死」 を墓石という目に見える形にすることで、これからはより充実した日々を過ごしていけるのではないかと考えています。 私ども夫婦は、4年前に開創1300年四国八十八ヶ所のお遍路を終え、2018年1月から草創1200年西国三十三ヶ所の巡礼をしています。この時期に、約10ヶ月かけて、自分達らしいお墓を、最高の場所に建立できたことに感激しています。



「見守って欲しい」、光を通すステンドグラスなら、そんな願いも叶う

宮城県 今野様

お墓建立の際のエピソード

主人と主人の両親が眠るお墓を、主人の17回忌を期に私たちが生活する仙台へ移すことに決めました。仙台に家を建て、仕事も順調、子供たちも中学と高校で新生活を始めた矢先に、突然主人は交通事故で帰らぬ人となりました。子供の成長を見届けることが出来ず、主人もきっと無念だったと思います。残された私たちも今日まで一生懸命に生きてきました。私も外に勤め口をみつけ働きました。 「お参りに行けるお墓がいいお墓」 もっと近くに自分たちの心を寄せるための場所が欲しいと願って、今日まで過ごしてきました。つらく苦しいこともたくさんありましたが、先立ってしまった主人とも、残されてしまった私たちにも大切な思い出がたくさんあり、その思い出がいつでも色鮮やかに蘇るよう、お墓には「彩想」と刻みました。 主人や父母に私たちを見て欲しい、見守って欲しい。またいつか私も子供たちを見守っていきたい。光を通して透き通るガラスなら、そんな願いも叶いそうな気がしてステンドグラスを使ってみました。ステンドグラス作成の打ち合わせの時に連れて行かれた工房に、今は生徒として通っています。そんな私の毎日を主人はきっとお墓のステンドグラス越しに見守っていてくれます。「いつかは私の作ったステンドグラスを主人と両親のお墓に」。石材店さんとの約束です。



大震災で亡くなった愛する家族と共に見た仙台の四季折々の風物詩をステンドグラスに

宮城県 沼田様

お墓建立の際のエピソード

東北の、特に太平洋側に住む人たちなら、決して忘れることの出来ないあの震災から七年が経ちました。もう七年、まだ七年。人によって感じ方は違うかもしれませんが、妻と二人の娘を亡くし、一人残されてしまった私にとっては、「まだ」でも「もう」でもなく「今でも」の出来事です。 いつかはさよならをする日が来て、その順序にはル-ルが普通はあります。でもル-ルがあれば反則だって時にはあります。何年何十年経っても納得できることではないでしょう。でも愛する家族を私の中で永遠にするために、お墓を建てる決意をしました。私から家族への「永久欠番」の進呈、そんな想いを表現したお墓にしたいと考えました。 「包み込むような」「力強く受けとめるような」本来のお墓の在り方としては不適切なのかもしれませんが、どうしても私たち家族だけの思い出を残したいと考え、ステンドグラスを作成することにしました。 一番の思い出は・・・選べません。 左右対にして二つに絞ることにしましたが、それでも足りません。四季で一つずつ残すことに決めました。春には「花見」、夏には「花火大会」、秋には「定禅寺通りのジャズフェス」、冬には「光のペ-ジェント」。仙台の四季折々の風物詩はそのまま私たち家族の思い出です。 皆が眠るこの場所に何度でも会いに行きます。



夫婦の誕生月に咲く花、梅と桜の花を仲良い夫婦の象徴として彫刻

宮城県 鈴木様

お墓建立の際のエピソード

何も準備していない中、長年連れ添った妻が亡くなってしまいました。子供たちも自分たちの手から離れ、自分たちの家庭を持ち夫婦水入らず仲良く過ごしてきましたし、まだもう少し一緒にいられると思っていました。 妻を亡くし、寂しい気持ちは亡くなりません。しかし、妻がゆっくりと眠ることができるお墓を用意しなくてはと息子と一緒に探していたところ、可愛らしいピンクのお墓を見つけました。淡いピンクは、妻の和やかな雰囲気を思い起こさせますが、しっかりと地に足が付いているようなデザインで妻のためにこのお墓を建てたいと思いました。 夫婦仲良く、過ごしてきた人生を表すために墓石に梅と桜の彫刻を入れてもらいました。私たち夫婦の誕生月に咲く花です。これからも私たち夫婦は「仲良く過ごしていきたい」そんな気持ちを込めたお墓です。



若くして亡くなった妻のお墓は、赤ん坊を包むおくるみに包まれるイメージ

新潟県 福中様

お墓建立の際のエピソード

雪深い新潟県。ここで生まれ育った妻は三十歳前にして2人の幼い子を残して逝きました。ふんわりと降り積もった雪のように、赤ん坊を優しく包む真綿のおくるみに包まれるイメージのお墓の中で、今、静かに眠っています。 自宅のデザインもちょっと変わっているのですが、自宅を設計してくれた設計士さんにお墓のデザインもお願いしました。



いつも庭で花のお世話をしていた母のお墓は、いい庭風仕立て

大阪府 長宮様

お墓建立の際のエピソード

妻は花が好きでした。元気な時はいつも庭にでて、花の世話をしていました。入院している時も、庭の花のことばかり気にしていました。 そんな妻が他界し、お墓を作ることになりました。息子と娘に相談、妻の好きそうなお墓を作ろう。コンセプトは庭。お墓のことも庭のことも、まったくわからない家族にしてはいい庭風のお墓ができたと喜んでいます。 もしかしたら、お墓の中で「あそこはこんな風にしたいわあ」と言っているかもしれません。石で作った白い蓮の花がポイントです。



緑の深い「和」の文字を彫刻

大阪府 横山様

お墓建立の際のエピソード

西に比叡山、東に近江富士、琵琶湖を中心にのどかな地に生まれ育ち、結婚を機に大阪府に住んで今日を迎えています。桜の名所でもある墓地の最終分譲に当選し、墓地は前から持っていました。今年になり終活のスタートにお墓を考えよう!!と決心しました。 丁度近くに墓石をお願いした石材店さんに立ち寄り相談しました。ニューデザインで、私の年が85歳でもあって不安を感じながら。 昭和30年に日立グループに初入社、大阪万博の頃に脱サラして日立の家電販売の店を開業。今は自宅で営業していますが、長年のお得意様からごひいきにされ、未だ現役です。 この道一筋に生きて最初の記念品にもらったのが「和」の額でした。その後、グループ長に任命されてロイヤルホテルで新入会員を迎える式典でいただいたのも、偶然にも全く同じ額「和」なので、この縁のある「和」を生かした洋風墓にしようと決心した次第です。 この世と天国 いつか辿る道 天国へ行って 見たいな 日帰りで この世もあの世も幸せ一杯、感謝感謝で健康で明るく元気で過ごせる事が何よりも大切だと日頃から考えています。おいしく食べて、自分の足でどこでも行ける、人に喜んで頂ける、また小さなことでも感謝出来る明るい日を送りたい…。 お墓参りも楽しみのある墓になれば、自分の為にも周囲の方にも笑顔が出来れば有難いと思っています。知り合いからは「あなたの生きざまのようなお墓ですね」とよくいわれます。             

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